チャンス

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復活ノート

「チャンス」
先日、兵庫県知事が、「東京に大地震が来ればチャンスだ」と、とぼけた顔で発言したことが問題になりました。
訂正するように言われても、「何がいけないの。東京に大地震が来て、首都機能が壊滅すれば、関西がやらなければならないということを申しあげただけなのに」となかなか納得しませんでした。
あれは、内心えらいことを言ったと思ったが、ここは一つ開き直りしかないと考えたのか、あるいは、「オバマって、英語がうまいような~」と感心する今の首相のような性格なのかは知りません(とにかく、まわりから言われて、「『チャンス』という言葉は不適切でした」と謝罪しましたが)。
本人の言語感覚はともかく、政治の世界で、他の犠牲が考えられるときに、チャンスと言うのは避けるべきでしょう。
ところで、復活の途上にある私たちにとって、「チャンス」という言葉はどうでしょうか。
朝日新聞が全国の主要100社に対して行った景気調査では、100社中98社が、「景気後退」という判断しているようです(11月30日)。
中小企業なら、「今増産すれば必ず利益が出ます」と説得しても、どこの金融機関も貸してくれない「黒字倒産」が増えてくるでしょう。
50年以上前に、「日本は、資源がないので、世界一優秀な技術で物を作って輸出します」と小学生の社会の教科書で学んだことは、今も変わりなく、しかも、それができなくなってしまったのです。
今の中小企業の経営者の苦しみは痛いほどわかります。
私も、東に異業種交流会があれば参加し、西にベンチャーキャピタルの募集があれば駆けつけといった毎日でした。
もちろん、時間があれば、保証協会、銀行と走りまわりました。
年末には、ボーナスとはいかなくても、寸志ぐらいは渡したいと思うばかりでした。
しかし、年末にかけて、「兵(つわもの)が夢の跡」となる企業も多いことでしょう。
私たちは、それを経験し、今に至る、です。
しかし、社会や人を、あるいは、人生を「見る目」を養ってきています。
私は、この5年、二親をなくし、介護コンサルタントいう仕事で知りあった何十人というおとしよりを見送ってきました。
人間がいつかは死ぬように、私たちの有頂天も未来永劫続くことはないと悟りました。そういえば、私が、少しのんびりできたのは20年ぐらいでした。
もちろん、このままではいけないと思ったはずでしたが、どこか甘かったのでしょう。
その反省を忘れなかったら、今どう生きるかも真剣に考えられるはずです。
そうであれば、チャンスとは、他人がどうかなればではなく、自分がどうかなればつかめるものかも知れません。
ところで、「すべて終った」といいながら、私物をバンボールに入れて出ていったリーマンブラザーズの社員たちは、今何を考えているのでしょうか。