新しい村
{ }
復活ノート
「新しき村」
「おまえ百まで、わしゃ九十九まで・・・」という有名な言葉があります。
各地の民謡の中に出てきますが、どうやら「おまえ」は夫で、「わしゃ」は妻のようです。
つまり妻が夫に語りかけているのです。
確かに、昔の奥さんは、「おまえさん」、「おまいさん」と呼びかけます(人形などから判断すると、おばあさんが、おじいさんにでしょうが)。
「これからも仲よくくらしましょう」というやさしい言葉に感動する人も、これは、夫が妻に言っているもので、葬式や相続のごたごたを片づけるのがいやなんだろうと解釈する人もいるかもしれません。
どちらにしても、仲のいい夫婦ではないですか。
11月22日は、「イイフウフ」ということで、いろいろなところが、夫婦の実態を調査しています。
それによれば、年を取ったら、夫は妻に頼り、妻はそれを嫌う傾向があるようですが、私の知っているかぎり、夫婦それぞれです。
50代の夫婦二人暮らしなのに、主人の衣服を別に洗濯をする奥さんを知っています。
同じく50代の夫婦で、主人が朝仕事に行くときは、夫が見えなくなるまで見送る奥さんも近所にいます。
そして、夫婦の仲は「小康状態」でも、どちらかが病気になると、今までの生活は一変します。
私が、今係わっている夫婦は、夫婦とも80才ですが、主人が認知症になり、奥さんは戸惑っています。
今の家は、主人の定年を機に、田舎がよかろうと移りすんできたのですが、夫婦の性格か何かで、近所づきあいが少ないのです。
「こんなはずではなかった」と奥さんは泣きます。
舌(味覚)は、子供のときに食べていた物をおぼえているそうです。まわりの風景もそういうことがあるかもしれません。
私も、そういう気持ちがあります。家もあるのですが、風景だけでなく、田舎の人間関係も残っているので、「住むとなれば、ちょっと」という気分です。また、田舎の医療問題は深刻です。
ところで、廃校を利用したホテルや会社があります。それなら、村そのものを作るビジネスはいかがですか。
山は二束三文で売りに出ています。その地の自治体は協力してくれるはずです。
後は、近所の医者の理解だけです。
山の「下刈り」はみんなでしましょう。家の距離もつきあいも、そこそこでいいでしょう。時々集まって、いざというときに助けあう隣人関係は、百でも九十九でも楽しく生きることができます。
井上ひさしの「吉里吉里人」に出てくる独立国の国民は多いと思います。