
発想の転換
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復活ノート
「発想の転換」
昨日(11月23日)も地震がありました。「天災は忘れた頃にやってくる」と寺田寅彦は言いましたが、この警句は古くなってきたようです。
熱中症が猛威を振るい、台風18号は、国際宇宙ステーションから撮影した乗組員は、「こんなすごい台風は見たことない」と言っていたとおり、各地に被害をもたらしました。
そして、広島の土砂災害や御嶽山の噴火がありました。
北海道では、11月の雪としては、例の「今まで経験したことのない」量が降りました。
阪神大震災や、東北大震災とそれに伴う原発事故の被害者にとって一生忘れない天災(と人災)となったばかりか、今も、家に帰れない状況にある人が大勢いるということです。
来年も、夏は夏で、冬は冬で大きな災害が起きるでしょう。天災やそれに伴う人災は仕方がないということことでしょうか。
それなのに、地震予知は。専門の学者からもいくら予算がついても完全な余地はできないという意見があります(資料を見ると、1994年~98年の5年間にもろもろ1000億円の予算があったのに、1995年の阪神大震災には、警告さえ出すことができなかったのです)。
今後も、首都直下型地震や東南海地震の可能性が指摘されていますから、このままなら予算がどんどん増やされてもドブに捨てるようなものです。
ある程度は仕方ないでしょうが、「予算をつけたから、政府はちゃんとやっている。原発も安心」としたいのでしょうか。
経済のみを追求すれば、国家どころか人類の破滅をもたらす時代になったのです。
国家にも、企業にも、つまり個人にも、発想の転換が急務になったのです。
国家でいえば、地震は予知できない、台風や大雨は予知できても、「個人の責任で命を守ってください」なら子供でも言えます。
主要国がCO2の排出量の削減をしぶるなら、国は、それが引きおこす台風や大雨、不可避の地震から人命や財産を守る家作りをどうしてしないのか。
国民からアイデアを求めて、「天災で一人の死者も出さない」と言えば、国民は一つになるのに、このまま「企業の代弁者」を続けるのなら、人口はますます減ることでしょう。
私は、地面に穴を掘って、地面と家が接触しない家を提案します。地震が起きても倒壊しません。
また、経営不振から立ちなおれない企業が増えていますが、「貧すれば鈍する」は、つまりは「貧すれば発想を転換できない」ということなのです(後は幹部連中が保身に走り、組織が瓦解するのです)。
個人の場合は、すべて自分一人でやらなくてはならないので、簡単には思考を変えることはできません。
とにかく考えに考えて、同時に別の観点からそれを見直し、また考えていく。事業の成功者はそうしているはずです。
私たちも一度は成功したのです。慢心や油断を二度としないと誓えば、必ず復活できます。
一度成功したということは頭が悪いから失敗したと言いわけできないことも明白です。
あせらずがんばりましょう。