名もなき声ビジネス
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復活ノート
「名もなき声ビジネス」
東北の震災後、しばらく、地震や津波で亡くなった人だけでなく、懸命に生きている人の様子が、個別に、顔写真と共に新聞に掲載されていました。
友だちと別れざるをえなかった保育園児から、やっとの思いで救出された100才の人までの内容は、涙なしには読めませんでした。
あれから3回目の年を迎えようとしていますが、少しでも笑顔を取りもどしているのかと心配になります。
しかし、ニュースで見聞きすることは、がれきの処理が進まない、移転の計画が立たないというようなことばかりです。
さらに、被害者だけでなく、他の国民も、復興予算を他にまわしたりする「火事場泥棒」のような国に失望しています。
予算が少なくても、ごまかしがない政策を進めれば、被害者は納得するはずです。
困難なときほど、信頼が必要なのには家族でも、社会でも同じことです。
今は、少子化というより、少信頼化というべきかもしれません(実際、仕事がない若い人が、何百万人といるわけですから)。
私たちのことを考えても、名前も顔も知っているけど、深い人間関係にならないのは、相手がどういう人か深くわからないからですよね。
それが、生まれ故郷とか趣味などで、一気に近しくなることがあります(その逆も)。
それでは、死んだ人との関係はどうでしょう?私は、曾祖父との関係を深めたいと思います。
亡くなった父親も、子供のときに亡くなったようですし、90才で健在の叔母も、生まれた時にはいなかったと言っていますが、曾祖父のことは、昔から聞いていました。
体が大きかったので、「鳥羽・伏見の戦い」に駆りだされ、帰ってきてからは、獣医のようなことをしながら、手広く商売をして、困っている親戚があれば、仕事を見つけてやり、また、家を建ててやる・・・。
この種の話は、尾ひれがつくものですから、どこまで真実かわかりませんが、何か手がかりがあればと思うのですが、写真も残っていません。
だから、叔母と私が死ねば、そんな人間がいたということは永遠に忘れさられるわけです。
もちろん、そんなケースは、すべての人間の99%以上でしょう(もちろん、私も)。
芸能人や事故などで亡くなった人の葬儀の様子がニュースで流れますが、遺族は、「本人を忘れないでください」と頼みます。
本人もそうでしょう。仕事の関係上、大勢のおとしよりと知りあいになりますが、ときどき、「こんなことを書いた」と渡されることがあります(おばあさんがほとんどです)。
そこには、家庭のこと、戦中・戦後の苦労などがあふれています。
誰でも、自分のことを知らせたいという思いがあるようです(今、自分で遺影を残すブームがあるようですが、それも一つかもしれません)。
これをまとめるビジネスはどうですか。
人生は、独学で学ぶものでしょうが、その参考にするためにということなら、名もなき市井の人が、多くの声を残してくれるでしょう。
死んだ人からもサポートしてもらって、どんな困難も乗りきっていきましょう。