もう一味

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復活ノート

「もう一味」
何回も言いましたが、私の節約ライフの一つは、新聞などに載っている本の広告の目次を見て、その本の内容を知ることです(人生論であっても、そういうノウハウ本は目次で内容がわかるものです)。
それで、「対人関係で腹が立っても、相手を包みこむようにすればストレスにならない」とか「老後は、自分の才能が日の目を見るように努力する」とか、作家や坊主の本の広告から、自分なりの人生訓を作りました。
最近、週刊誌の見出し(週刊誌も、500円もするので買いません)で、「70才は死ぬのが楽しみ」というのがありました。
それがどういう意味か知りませんが、私なりに、「そうか。死ぬのは怖いが、そうはいっても誰でも死ぬ。それなら、死ぬことは楽しみだと毎日念じていれば、怖さがなくなり、楽しいことのためなら、今の挫折感や後悔、さらにめんどくささには平気で耐えられるかもしれない」と解釈しました。
私も、介護保険料毎月6000円払う身ですが、今のところ女房も子供も元気ですので、一人になると、寂しさに耐えられない人もいるようで、京都毒殺事件なども(10人も不審死をしたようです)、そこにつけこまれたのではないかと考えられます。
また、昨日の新聞には公営住宅の住民の4分の1が独居高齢者という記事が載っていましたが、今後その割合が増えるのはまちがいないでしょう(孤独死も増えるわけですが、孤独死そのものより、すぐに処置をすれば、また笑って生きられたかもしれないのにと他人事ながら残念な気がします)。
とにかく、人口の割合が増える一方ですので、どんなビジネスも高齢者を意識しないで進められません。
しかし、ありきたりのサービスでは、それをうまく差別化までもっていけません。
人生には、社会の出入りという節目の場面があります。若いときの、誰からも何も言われることなく、好きなことができるという感覚は何とも気持ちがよかったものです(それで、無軌道なことをする若者もいるのですが)。
そして、年を取ると、なんとなく社会から出されるという感覚です。かなりひがみっぽいですが、老人のなりたてだからか、相手の何げない言葉に鋭く反応して傷つくことがあります。
先日も、電話販売店で電話を見ていたら、「今流行りのスマホをお使いになりませんか」と声をかけられましたが、病院などで、「お若いですね」と言われたりすると、「うるさいんじゃ!」と怒鳴りたくなります(それでなくとも、自分の写真を見ると、年を取ったなあと思わざるをえないのに)。
老人が増えると、いろいろな老人も増えます。「揺れる心」を掴んだサービスを考えてください。
さらにつけくわえれば、私たち老人は、「年を取ると寂しいが、人生を楽しむ条件は整った」と思いたいものですから。