新しいスポーツ

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復活ノート

「新しいスポーツ」
錦織選手がどえらいことをしましたね。テニスほど体力と技術がいるスポーツはありません(昔、趣味でやりましたが、すぐにやめました)。
それを、誰の助けもなく3時間、4時間とやるのですから、日本人(アジア人)には体力的に不可能のような気がしていました。
野球やサッカーのように、組織スポーツなら得意のはずですが、今度のサッカー・ウルグアイ戦の敗北について、キャプテンの本田は、「実力に差があった」と言っていますから、従来のイメージと現実の差が出てきているのかもしれません(本田語で言えば、「サッカーも、連携プレーではなく、「個」の力が基本である」というような)。
それにしても、「ユニクロ対決」という言葉がありますように、企業は、強い選手の服に自社の名前をつけてもらって、ブランドイメージを高めています(F1やゴルフなどは有名ですが)。
それには、まずスポーツというもののイメージがあります。「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言われますが、健全で強靭な肉体(チャンピオンになるぐらいの肉体です)に、自社の精神をイメージさせたいわけです。
ただし、この言葉の本来の意味は、「貪欲にならずに、健全な精神と健全な肉体を持とう」というような意味で、あまり極端に走るとろくなことはないという戒めだそうです。
それが、いつのまにか、「体を鍛えれば、すべてうまくいく」という意味に変った、あるいは、変えられたのいうのです。
イメージは一人歩きしますから、企業は、これから強い選手と大型契約をすることでしょう(それはそれで結構なことだと思います)。
それと、国家間のもやもやを吐きだせてくれるのもスポーツです。世界の今の状況のように、緊張が高まっても、自国にヒーローが出てくれば、とりあえずは一触即発の空気が薄れます(つまり、相手が負けるということですが、緊張はお互いがぶつからないと爆発しませんので、一時的に危機は回避できるというわけです。それと、スポーツは本来楽しむものですが、今は勝ち負けの面が前面に出ています)。
また、スポーツは偶然生まれたことはよく知られています。たとえば、ゴルフは羊飼いがスカッシュは囚人が暇つぶしでしていたとか、あるいはスキージャンプは囚人の処罰だと言われていますが(それはまちがいだとも)、スポーツは(スキージャンプでも)、人間がどんな立場に置かれても、何か楽しみたいために考えたものです。
それなら、どこかで戦争が起きるかもしれない今、スポーツの本来の存在意義である「楽しむ」ということを前面に出したスポーツを考えたらどうでしょう。
今や科学的トレーニングは必須ですが、スポーツを作るのに、偶然ではなく、科学的な面から考えるのです。
世界の状況や人間の欲求(健康とか幸福など)を加味して、今までなかったスポーツを作るのです。
世界中に広がれば、戦争などでスポーツができなくなるのは誰もが避けるようになるはずです。
プーチンが、脅しであっても、「ロシアは核大国である」などと言う時代が来ているのです。
戦争をスポーツにするようなことは絶対にしてはいけないと思います。新しいスポーツを考案するビジネスは成功すると思います。