ストラクチャーとアナリシス
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「ストラクチャーとアナリシス」
聞いたか、タイガースが復活するんやて。タイガースゆうても、なんぼ金使うても一つも強うならん阪神タイガースやないで。
ジュリーやトッポなどがいた「ザ・タイガ―ス」や。もっとゆえば、「わしを誰や思うているねん、元金持ちやぞ」ゆう岸部シローもいた(よけいわからんか)。
とにかく、4,50年ほど前、GS人気の先頭を走っていた(GSゆうても、「ガソリンスタンド」やないで。もうええてか)。
これまでも、「ピンクレディー」、「プリプリ」、「アリス」、「シャ乱Q」などが、そんなことをゆうているな。
近くのホールでも、グループやないけど、昔なら考えられなかった大物10人ほどの「集団コンサート」がある(60、70代の歌手が、「昔の名前で出ています」とゆうても、券は思うように売れていないようで、割引のチラシが何回も入っている)。
それにしても、同い年のジュリーに、今さら♪雨がしとしと日曜日・・・♪と歌われても、昔のようにウルウルせんな(今は、「過活動膀胱」で、下半身が毎日しとしとしているようなことで)。
なんで、ええ年してこんなことをするのやろかてか。日本の復興の役に立つためとゆうことらしいが、どう考えても、自分の復興のためやろな。
ほとんどの連中が、不景気で仕事がないのやろ(それと、プロダクションの利害が一致したんやな)。
ただ、この年になると、もう一つ理由があるように思える。寂しうなるんや。
ああゆう人は、スポットライトを浴びるのが忘れられんこともあるやろけど、仲間と一緒にやってきたとゆうのが懐かしいのとちがうか。
スーパーで買いもんをしているとき(オフシール=割引シールの時間待ちが多いけどな)、最近、「ミスタードーナツ」に行く。ドーナツかいな思うかもしれんけど(ぼくも、100円でも高いと思う)、コーヒーはみ放題で、262円で3杯は安い。
しばらく客を見ているのやけど、楽しそうにでもなくても、フツーに話をしているアベックや親子を見ていると、涙が出てくる(コーヒー3杯は多すぎるか)。
これをゆうと、みんな、あほかいなゆう顔で見るけど、そして、どこが悲しいのか自分でもわからへんけど、悲しくなる(最近、マクド難民ゆう若者がいて、寝るところがないので、コーヒー1杯で、開いている朝の4時頃まで粘るそうやけど、どんな気持ちで、アベックを見ているのやろか)。
今フリーになっている角淳一(すみじゅんいち)は、病気のデパートみたいになっているけど、高いビルを見ると、「ようがんばっているなあ」と涙が出てくるんやて。
ぼくも、今度は何を見て泣けてくるか楽しみではあるな。
これが、今はやりの「老人性うつ」かいなと思うけど、これで、人生を終えるのはつまらん。
それこそ、タイガースがはやっていた高校生のときに、何の参考書か忘れたけど、「ストラクチャーとアナリシス」と書いてあったのを思いだした。
「物事のストラクチャー(構造)をアナリシス(分析)をするのが学問だ」と(アナリシスとかアナライズゆう言葉を使うと、賢くなったようやった)。
「寂しさのストラクチャーをアナライズすると喜怒哀楽からできている」とゆうのはどうや。
「おもしろうて やがて悲しき鵜舟哉」つまり、怒哀はわかるやろけど、喜楽もいつまでも続かへん。なんか悲しく、寂しくなるもんや。
若いときなら、「何で寂しくなるんや。みんなも自分も喜んでいたやないか」と自分を叱ることができたが、アナライズした要素が、元の大きさに戻らんから、異常な寂しさになってしもうたんやろ。
死にたいとは思うけど、向こうは、もっと寂しいのとちがうやろか。それなら、楽しいことをいっぱいしたらええのやろか。そのへんをもう少しアナライズせんとな。