フツー

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「フツー」
大将になりたくて、25才のとき「脱サラ」した。その後、苦労をしたが、3年ほどで軌道に乗った。
そして、55、6才まで多くの社員を使うてきたが、結局会社を閉めなければならなくなったのは、どうもぼくの対人関係に原因があるように思う。社員であろうが、知りあいであろうが、人を避けたがるところがある。
小学4年のとき、えらい太りだして、みんなからからかわれたのが原因かなと考えていたが、長男、次男もそういう傾向があるので(長女、次女は外交的やけど)、そうゆう性格は元々あったんやろな。
フツーに近づいて、フツーに別れることができずに、べたべたに引っついて、好きか嫌いで別れてきた。そういうわけで、「フツー」にあこがれるようになった、
何か凶悪な事件を起こした犯人について、近所の人が、マスコミの取材に、「フツーの人ですよ」と答えていることがあるけど、「フツーなのに、どうしてそんなことをしたのやろか」と思う。
「フツー」の反対は、「変人」やろけど、生き方に自信があれば、「変人」は、光り輝く勲章やけど、今の状態は、変人やと思われていないやろかとびくびくしている。
つまり、「変人」になりたいけど、ほんまもんの変人になる自信がないから、フツーに逃れたいわけや。
それで、フツーってどんなもんやと長年考えてきた。この冬でわかったのは、寒さをフツーに感じることは幸福なことやとゆうことや(夏なら暑さ)。
この1ヶ月、ずっと声がかれていた(抗生物質でようやく戻ってきた)。特に夕方は声が出なくなったので、寒さが怖くてたまらんかった。
「今日は寒かったな」と思う日でも、毛布にくるまり、「ああ、極楽、極楽」と思いたいんや(夏は、お日さんを浴びた夏ぶとんで寝ると気持ちよかった。昔はそれがフツーやったのに、最近はエアコンや、水分やとなったのは、フツーでなくなってきたからか)。
年を取って、横になると、あそこが痛い、ここが痒いとなる。これはフツーじゃいない。いや、待てよ、年を取ると、それがフツーか。
取っ掛かりから、またわからなくなったやないか。ほんまに「フツー」はむずかしい。
「フツー」は漠然としているけど(少なくともぼくにとって)、フツーであるためには、ある程度の我慢が必要やないか。
最近、サラリーマンや大学生だけでなく、裁判官、検事、弁護士、警察官、教師などが盗撮で捕まっている。
何でもスマホには、カシャッとゆう音を消せるアプリがあって、静かに後ろから・・・となるらしい。
この前、女房や次女の家族で、神戸のフルーツフラワーパークのイルミネーションを見てきたけど、スマホは、夜でもきれいに映る。暗いスカートの中でもさぞやきれいに映るのやろなと思うけど、えらい人が、簡単に「フツー」を破るのがわからん(ぼくはスマホを持ってへんけど、フツーを破らないためとゆう理由やないで)。
ただし、盗撮が、その人にとって、「フツー」のことなら、誰も何もゆえん(法律がゆうてくれるが)。
そうゆえば、若い女にムラムラしたり、どついたりした柔道家がいたが、自分は無実やと主張しているのは、そうゆうことをするのはフツーのことやと思うているのやな。
ここで、緊急事態が起こった。耳が痒くて、耳かきローラーで掻いていたら、それが折れてしまった。指で取ろうとしても取れん。これは、フツーのことやない。
しかし、ここはあせらず、誰かに連絡をして、ピンセントで取ってもうたら、フツーに戻るやろ。
しかし、そう簡単にフツーになれない人もいる。ぼくの会社は、としよりだけでなく、障碍者にも関わっている。
先日、山中教授のノーベル賞受賞後最初の講演会が神戸であったが、知っている人が大勢聞きにいった。筋ジス、脊損、目の障害など、生活に支障がある人や。
「網膜が再生した」、「毛根ができた」などとゆう記事が出るので、みんな期待しているのや。
山中教授は、「すぐに実用化できると期待しないでほしい」とゆうているが、本人だけでなく、家族も切実や(そろそろ限界とゆう家族が多い)。
チカンといっしょにされるのは許せんかもしれんが、フツーを破るのは簡単でも、フツーに戻るのはむずかしいのや。
まだ誰とも連絡が取れけど、耳がフツーに戻ったら、また「フツー」について考えよう。

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