脳波

   

「ほんとにヘンな童話100選」の(84)

「脳波」
ネズミを使った実験の結果を調べていた西崎は、「明らかに影響しているぞ」と叫んだ。
しかし、それは、誰かに言っているのではない。物置を改良した実験室にはいつも彼一人いるだけだった。
彼は、何かの生物に外から脳波を入れる装置を開発して、それをネズミで実験していたのだ。
そして、それがその生物に定着させることに成功したのだ。しかも、その脳波にある情報を加えれば、その脳は、つまり、心は、情報に大きく影響されるようになると予測した。
彼がこんな生活をするようになってもう5年になる。ある製薬会社の研究所の主任研究員をしていた。
それまでは国立大学の教授をしていたが、破格の報酬でスカウトされた。しかし、就任以来どんな成果も出していないという批判の矢面(やおもて)に立ってくれた上司が裏で足を引っぱる張本人だとわかったので、すぐに退職したのである。
それ以来、どこにも属さす、実家の物置に閉じこもって、人の心の研究を続けたのである。
「それじゃ、今度は多くのネズミを使ってみようか」また声に出して言った。
その装置を使って、別のネズミの脳波を取りだして、そのネズミを特徴づけるように脳波を調整した。それから、最初のネズミにその脳波を入れた。
翌日、さらに4匹のネズミを入れて、つまり、5匹のネズミを、最初のネズミのオリに入れた。
すると、そのネズミは、自分に提供された脳波をもつネズミを追いかけはじめた。そのネズミを外に出しても、他のネズミには見向きもしなかった。
今度は、もっと大きな動物で実験したくなった。「そうだ。あの犬を使おう」と言った。
実家には3,4才の雑種のメスがいるが、西崎が実家に戻る前から飼われていたので、西崎にはまるっきり慣れず、西崎を見れば吠えまくるのだが、実験にはそれがよかった。
数日後、両親が親戚に出かける用事ができた。彼は、母屋に行き、犬のえさに睡眠剤を入れた。
30分後、母屋に行くと、犬はぐっすり寝ていた。さっそく、装置を持ってきて、自分の脳波を犬の脳に入れた。
2時間後、物置を叩く音がした。ドアを開けると、その犬が鼻を鳴らしながら入ってきたのである。
西崎は、頭を撫でながら、「よしよし。おまえはおれの夢を見たのだね」と言った。
それから、「出ていくように」と言っても、彼にまとわりついて離れようとしなくなったのである。
脳波の性質を変えて、もう一度同じ実験をすることにした。睡眠剤で寝込んだ犬に、脳波を送り、母屋に運んだ。
2時間後、母屋に顔を出すと、犬は彼に気づくと、今まで以上に吠えるようになっていたのだ。それは予想どおりだった。ネガティブな情報を入れたからである。
2か月かけて装置をコンパクトにした。それをカバンに入れて町に出た。いよいよ人間を使って、その効果を見ようとしたのである。
賑やかな繁華街を楽しく歩く人々を見て、自分がしようとしている実験は犯罪ではないかという思いが突然浮かんだ。
久しぶりの人ごみに疲れたこともあって、目についたレストランに入ることにした。
食事を終えたとき、女性2人が横の通路を通った。西崎はあっと思った。一人は、研究所時代に好意をもっていた田沼陽子だった。しかし、西崎に気づかぬまま背後の席にすわった。
西崎は、二人の会話に耳を澄ませた。微かに聞こえてくる内容から、まだ研究所に勤めているようだ。そして、相手は自分の部下らしい。自分が辞めてから入ったのだろう。
部下がトイレかなにかで席を立ったとき、西崎は、思わずカバンを持ちあげて陽子の後頭部に脳波を送った。
その行為に胸が締めつけらえるようになったが、知らない人間でもないし、もう会うこともないのだからと自分に言いわけをして、急いで店を出た。
数日後、また町に出た。考えをまとめたいと思ったからである。
しばらく歩いていると、「西崎さんじゃないですか?」と呼びかける声がした。横を見ると、田沼陽子だった。西崎は驚いたが、何とか挨拶をした。
「ここで会えるなんて!でも、偶然じゃないかもしれません。夕べあなたが町を歩いている夢を見ましたの。それで、会えるかもしれないと思ってここに来ました」陽子は、5,6年前と変わらず、人をひきつけるような笑顔で言った。
立場上、口には出せなかったが、研究所を辞めるとき、唯一残念だったのはもう陽子に会えなくなることだった。奇跡が起きたようだった。
話をしてお互い独身だということがわかり、交際が始まった。
しかし、半年、1年が過ぎると、西崎には、陽子のことというより、恋愛そのものが重荷になってきた。
西崎は悩んだ。そして、自分は愛することは望んでいたけど、愛されることは望んでいない、いや、愛される能力がないと結論づけたのである。
陽子とのことを終わらせるにはネガティブ情報を送るべきかとも思ったが、これ以上卑怯な方法を使わないでおこうと決めた。
正直な気持ちを書いた手紙を送った。しかし、この装置をどうするかはまだ決めていない。

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