目的と手段

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「目的と手段」
寒うおますなあ。寒いからそう挨拶するのやけど、ぼくの場合それですまへん。心のどこかから、「そんなことゆうていてええの。暑いのよりええと思うているやろ」とゆう声が聞こえる。
確かに多汗症で、夏になると汗が顔から噴きだす。それで、人の目を避けるようになってしもうた。
変人と思われてきた原因のほとんどはこれやと思うているので、「天気の神さんが、これなら汗かかんやろ」と寒うしてくれてんのに、神さんの好意が分からんのかと叱られているのや。
それはそうやけど、今日(1月17日)は縮みあがるほど寒い。一日中寒い。こんなときは熱燗やな(ほんまは「ぬる燗」やけど)。
別に気がかりなこともなく、ちびちびとやっていると、だんだん心も体もあったかくなってくる。
いつもではないけど、心とゆうか頭がパッカーンと開くことがある。ものすごく気持ちよくなる。そんなときは、まだまだがんばれるぞと思える。
逆に、なにがどうなったているのかしらんが、うまいもんもあるのに、口が苦くてたまらんときもある。無理に呑む。
そのどちらにも罠がある。楽しいといきはもっと楽しくなれると思うていつもより呑む。楽しくないときはもうちょっと呑めば楽しくなるかもしれないと思うてもっと呑む。
しかし、たいていのもんはそう無理をしないから、酒とはええつきあいをしている(飲みすぎたら肝硬変になるとゆわれるけど、飲みすぐで肝硬変になるのは、全体の15%ぐらいやて。ほとんどがウイルスらしい)。
その点、ロシアなどの寒い国はたいへんや。零下20℃、30℃になるから、ウオッカ飲まんとやっていかれんのや。気の毒なことに、それでロシアの男の平均寿命は60才ぐらいらしい。
がんばろうと思うてウオッカを呑むことが、いつしか目的となる。つまり、アル中や。
目的と手段をまちがう悲劇は誰にでもある(他人特に飛ぶ鳥落とす勢いやったやつが目的と手段を待ちごうて転落すると笑いもんになる)。
それなら、目的と手段をまちがうとはどうゆうことやろか。幸福になるために金儲けに励む人は多い(たいていのもんはうまくいかないけど)。中には、事業に成功して隠しところがないほど札束をもっている人もいるやろ。こういう人は目的と手段の距離が近いわけや。
しかし、事業に成功しても、自分の目的はちがうところにあったとなると本人は不満やろ。
せやけど、金があればどんなことでもできるが、ぼくらのようなもんは、目的も手段がころころ変わるから、何が目的で何が手段かわからんようになる。
そんなときでも、人生の目的を考えるようにしとかんと収まりがつかん。
そんな青くさいことを思われるかもしれんが、いろいろ失敗してきて考えるに、アクセルは手段、ブレーキは目的や。目的のためにどんどん飛ばしたいところやけど、まちごうた道を行ってもしゃあないし、飛ばしすぎるとまわりが見えなくなる。いつでもブレーキをかける準備をして正しい道を行く。
ええことゆうなあ、我ながら。高い授業料払ってきたからなあ。
アクセルとブレーキをまちがうと最近ようあるニュースのようなことになる(逆走もある)。気をつけてぶつからんようにしまひょ。

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