イメージ(3)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「イメージ」(3)
この前、ネットを見ていたら、「このウエブサイトは、フィッシング詐欺のおそれがあります。絶対にクレジットカードを使わないでください」と出た。
Hなもんやないで。最近のベストセラーの感想のサイトや(大体、クレジットカードもってへん。前は、カードを使いまくっていて、1年間に300万円ぐらい服を買うているゆうて叱られたもんや。今は、本を買うときでも、「ユーズド」ゆわれる中古を買う。半額でええわ)。
ほんまにどこに落とし穴が待っているかわからんな。特に知らん人間は、ぎょうさん穴を掘っているかもわからんから用心したほうがええ。相手に、今まで知っている人のイメージをひっつけるのは、大人の処世術や。
せやけど、「あの人に会うたら、思うていたイメージとちごうた」とか「なかなかイメージが浮かばへん」とかようゆうもんがいるけど、これも要注意や。
それが過ぎたら、投資話や詐欺に引っかかって、「いつもにこにこしてはったから、ええ人や思うてて」となる。
前にも書いたけど、フリーアナウンサーの鈴木史朗は、入社仕立ての頃から、ある上司に疎(うと)んじられて、閑職をさせられてきたのは有名や。鈴木が、軍隊のときに自分をいじめた上官に顔が似ているとゆう理由やったらしい。イメージは、人の一生を左右することもあるのやな。
ところで、「ありネガ」ゆう言葉知ってる?パンフレットなどを作るとき、自由に使うてもええ写真のことや(無料ではないけど著作権を放棄している)。
イメージは、自分が持っている「ありネガ」を使う。その数は、今まで知っている人の数に比例するように思う。100人しか知らんもんと、1000人知っているもんとは、持っているイメージの数がちがう(そして、「こいつは、だれそれに似ているな」と無意識に思う)。
イメージは、個人だけでなく、人間全体、社会、国、世界と向う。
ぼくは、小学生4年の夏ごろから、急に肥えだして、ようからかわれた。人間は、人の嫌がることをゆうもんやと思うようになった(今は、人に、そう思われているけどな)。
野良の犬や猫でも、いっぺんいじめられたら、もう二度と人間には近づかんようになるのといっしょで、今でも、その気分は残っている(最近、子供が、言葉の暴力を受けつづけたら、言語能力が発達せえへんゆう研究結果が出た)。
また、これも経験したことやけど、東京の人間は、大阪の人間が大嫌いや。ぼくは、東京のあちこちの異業種交流会に入っていたけど、「大阪の人間って、がめついんだろう?」とゆうことはようゆわれた(おごっても、すぐにおごりかえされる。「気分悪いや」とゆうことらしい)。
ところで、イメージの中で、ぼくらが、自分につけるイメージが一番大事や。もっとゆえば、「本来の自分」のイメージと、「今の自分」のイメージの間で生きている。そこに、夢や努力、希望や絶望などがあるのやろ。
なかなか「本来の自分」のイメージどおりにならへんけど、がんばっている姿も、自分のイメージの一つやと思うて、あきらめずにやりまひょ。