生き方(1)

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「生き方」(1)
「ニワトリが先か、卵が先か」とようゆわれる。
「動物発生学的には、卵が先」と、三葉虫の世界的権威リチャード・フォーティ博士が書いているけど(やっぱり「ニワトリが先やった」と書いていたかもわからん。知りたい人は、「生命40億年全史」とか「三葉虫の謎」を読んでな)
それでは、人生の幸福はどうやろ。つまり、先に喜びがあったほうがええか、苦労の連続でも、晩年は平穏なほうがええかちゅうことやけど。
もちろん、ずっと幸せな人生が一番ええけど、なかなかそんな人は少ない。
ぼくは、介護コンサルタントとして、いろいろな施設を回っているけど、みんな「何でこんなところにおらんとあかんねん。わしが何か悪いことしたか」と叫んでいる。
辛いなあ。ぼくの父親も母親も、「早う帰りたい」ゆうてなくなった。女房の父親も、今そうゆうている。家庭には、それぞれ事情があるのやけど、本人も、「何でこんなことになってしもうたんやろ」とゆう思いがあるやろな。長寿はめでたいことではあるけれど、「終わりよければ、すべてよし」と思うている、としよりは少ないかもわからん。
その子供であるぼくらも、今まで幸せやったもんは不幸にならんように、今まで苦しかったもんは楽になろうとがんばっているのやけど、なかなか思うようにいかん。
人生には、何が大事なんやろ?賢さや努力ゆうのも、人生で成功する条件やろけど、賢かったら、先が読めてしもうて、味気ない人生になる。
そして、みんな薄々わかっているように、なんぼ努力してもあかんもんもいる。「朝が来ない夜」のような人生やな。これも辛いなあ。
その原因としては、本人の性格もあるやろ。金があったら、あるだけ使う、いわゆる「儲け使い」をしていると、年いってから、泣かんとあかんようになる。
わかっていても、ええ車がほしいし、海外旅行にも行きたいわな。それが、生きがいやもんな。
「働けど、働けど なお わが暮らし 楽にならざり・・・」と詠んだ石川啄木は、ものすごい浪費家やったらしいな(金田一京助など友人知人が、助けたけどあかんかった)。
今やったら、大相撲の「高見藤」が、パチンコで借金まみれになって廃業した(今度十両に復帰したら、給料は100万以上あったのにな)。
商売についても、そうゆうことがいえる。
商売を続けるためには、よう考えとあかんけど、他人に遅れをとることは避けんとあかん。「商売はチャンスや」とゆわれる所以や。そこで、銀行や、金融金庫、保証協会などから、金を借りるわけやけど、うまくいったらええけど、失敗すると、経営の足を引っぱる。
こうなったら、賢くても、努力の人でも、なかなかたいへんや。
また、成功した有名人とおんなじようにしても、成功するとはかぎらん。
それより、人生に向いている性格を考えたほうがええかもわからん。
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

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