「人の風景100選」の(1)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「人の風景100選」の(1)
今度の津波で、大勢の人が家も財産もなくした。前にもゆうたけど、どこの家にも10万個以上の品物があるそうそうやから、膨大な数になるやろ。また、民家や学校、会社なんかがぐしゃぐしゃになった。新聞に書いてあったけど、まさに瓦礫=思い出とゆうことやな。
毎日、瓦礫の中を自分のもん、家族のもんを探している人がいる。あの風景を「人の風景」の最初にもってきた。
人がまわりに溶けこんで、しかも、人らしさが何気なく出ているところが狙いなので、光景でなく、風景としたんやが、あれほど切ない風景はない(大川小学校はほんまにかわいそうや。しかも、まだ我が子を探している親がいる。こんな辛いことはない)。
3月11日の午前中までは、もっと楽になりたい、もっと稼ぎたいと願うたり、夫婦や親子で喧嘩していた人もいたかもしれへん。
その家族が突然いなくなった。その家族が使うていたもんが唯一の思い出となってしまった。その家族がそれを気に入っていたらなおさらや。
自衛隊やボランティアは、瓦礫の間でアルバムなどを見つけてはきれいにしている。ほんまにうれしいやろな。
津波や原発から避難している人は、国は安全な場所に豪華な家を建ててくれなんてゆうてへん。元の仕事をして、元の生活をしたいだけなんや。ここが復興の原点なんや。
せやけど、「震災離婚」ゆうのがあるそうやで。家族で今後どうしようかと話しあっているうちに、「本性が出た」ゆうて別れるのやて。
「顔も見たくない、自分のもんをもって出てゆけ」となるやろか。会いたくても、会いたくなくても、物に相手を感じるのやな。
それでかどうかは知らんけど、「断捨離」なんてゆわれんでも、物をまわりに置きたくない人がいるし、異常に集めるのが好きな人がいる(生ゴミでも捨てないどころか、他人のもんを集めるオジイやオバアがいるが、それはまた別の話やけど)。
コレクターゆうやつやな。ぼくも、子供のときは、世間で流行っていたので、切手やコインを集めたことがある(グリコや森永のおまけにあった)。
少し上級コースになると、マッチのラベルや割り箸の袋なんかを集めていたやつもいたけど、ぼくは全く興味なかった。
大抵は子供のときに卒業するけど、大人なっても続ける人がいる。
ぼくの考えでは、コレクターは、集めたもんに、別の人じゃなくて、自分自身を見るのや。そこに喜びがあるのとちがうか。
そうゆう人が、どんなん集めているかは、「何でも鑑定団」なんかを見ればわかる。
また、収集癖に偏執癖が重なると、妙なもんを集めるようになる。
その代表が、河内家菊水丸や「やくみつる」やろけど、菊水丸のほうが、より偏執癖がある。
タレントが吸うたタバコの吸殻、飲みさしのジュース、鼻をかんだティッシュなんか集めている(「珍宝堂」に詳しい)。
もっとイタイのがジェームス三木やろ。関係した女の陰毛を集めているそうや(別れた嫁はんが暴露した)。
採集するのは、ついでにできるやろけど、自分のとごちゃごちゃにならんか心配や。そして、植物標本みたいに保存しているのやろか。
毛ぃ1本に、縮れ毛ぃ1本に、相手の女を見るなんて、さすが大河ドラマの劇作家や(単なる変態か)。
秘蔵のコレクションには、菅野美穂のは入っているのやろか。別にファンやないけど、菅野美穂が夢に出てきたので、ネットで例のヌード写真を見ただけやけど。
北川景子や佐々木のぞみのは入りませんように。管野美穂がそうだったように、男とややこしくなると、当てつけで遊んだり裸になったりする女優がいるからな。
製紙業界のドンとゆわれた斉藤了英は、金にあかせて集めたルノワールやゴッホ、ピカソのコレクションを、死んだら棺桶に入れてくれと遺言をしていた。
家族はしなかったけど、ほんまにそんなことすれば、陰毛どころの騒ぎやないで。
あんまり物に執着すると自分を見失うとゆうことやな。ぼくは金がないから心配ないけど。