電気

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「電気」
おめでとさん。今年も、細かいことにこだわって大きくなろうや。
去年ぐらい「理解とご協力をお願いします」とゆわれたことはなかったと思わへんか。
節電、消費税、普天間基地移設などが解決してへんから、今年も、「慇懃無礼」の年になるやろ。
「理解とご協力をお願いします」は、工事現場の立て看板に書いてある。ヘルメットをかぶった現場責任者が、神妙に頭を下げているやろ。でも、工事ははじまっているがな(昔の上岡龍太郎なら、「協力?スコップもって、道でも掘れゆうんか」と毒ついていたけど、談志の葬式で、久しぶりにインタビューを受けた上岡は、「師匠は500年に一人の天才です」とゆうていたのにはびっくりした。
「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流。恵まれない天才、上岡龍太郎です」が「ツカミ」やったけど、三つもとも一流になって引退したからか、立川流の冗談半分の弟子になっていたからか、息子が映画監督になったからか知らんけど、えらいおだやかになっていた)。
とにかく、電力会社が、テレビコマーシャルを使って、「うちの商品を買わないでください」と頼むのは、売上げが減って会社をつぶしたものにとってはうらやましい話やとは思うが、これについては、再来週(来週は「チュー吉」や)に考えるつもりや。
社会の節電は、そうゆうことやけど、自分の電気のほうがどうや?自分の元気やエネルギーのことや。
「もう年やから」とゆうているもんほど、密かに体力はそう落ちてへんと思うている。スポーツ選手やないんやから、普通に生活をするなら、それが当然や。
せやから、ほんまに元気がなくなったと思うているなら(根気がなくなってきたのもやばい)、自分の燃料棒はどうか、使い方はどうか考えや(燃料棒ゆうても、股間のやないで。正月からゆうことやないけど)。
とにかく、燃料棒がメルトダウンするぐらい熱をもつ生き方をしてきたのはそうおらんらろけど、あんまり使わずに死ぬのももったいないとゆうこと。
ぼくは、「緊張しい」でな。原因は分かっているけど、まさか60すぎてまで続くとは思わんかった。
ビートたけしが、どちらかの肩をぴくぴくさせたり、石原慎太郎が、目ぃをしょぼしょさせるのを、「チック」とゆうけど、ぼくも、チックをする。何をするかとゆえば、朝したことを一日、あるいは数日する(チックの万華鏡~や)。
これをはじめると、「人が見てる。早くやめんと」と思うのと、体がこわばるのとで、心身に無駄なエネルギーを使うているのやと考えて、自分に、ある呪文をゆうことにしている。
それで、最近は楽になってきたけど、エネルギーを節約するために必要な「心身の柔軟度」をチェックしてみた。
去年、電話代を節約するために、光電話に変えた(ネットも早くなる「おまけ」もあった)。
NTTの電話機は、部屋の奥にあって、ネット回線は、部屋の外側から引きこんでいる。
業者が内部の工事はできないとゆうので、壁に沿って、10メートルぐらい線をこってこんとあかん。自分でしようか、あるいは、1万円ぐらいなら、電気屋に頼もかと思案していたら、ぱっと浮かんだがな。「そや。電話機をネット回線が着ているところまで動かせばいいのや」頭はまだ大丈夫。
それなら、体は?パッチをはくと、おしっこがしにくい。特に警戒警報がなっているときには、あわてる、あわてる。
それで、医者が手術をするときに、手の動きをシミュレーションをするように、ぼくも、おしっこのシミュレーションをすると、どんなときも粗相しなくなった。体もまだいける。
去年の10月、人間ドックで、脂肪肝と慢性胃炎をゆわれたので、酒量をぐっと減らした。
病気のほうに電気を取られんように、腹筋運動をしはじめた(3ヶ月で、何の支えなしで、2,300回できるようになった。時間の無駄なので、毎日100回だけしている。
腹筋は自分も他人も助ける。老人施設に入っても、自分で寝起きできるし、ぼけた仲間が、同時に徘徊しても、一人を首に巻いて二人を両脇に抱えて連れもどすと、ヘルパーも喜ぶやろ)。これで、自分の発電量が減ってきても、当分いける。
電力会社は、蓄電装置は高いので、使いっきりにしているやけど、ぼくらも、自分の電気を使いきることや。節電はせんでもええ。放電や漏電に気をつけて、今年もがんばる。エビオス占いで、一日を大事にして。
エビオス占いか?胃を助けるために、毎食後に、エビオス10錠を飲んでいるけど、ごっついビンの蓋に受けたとき、ちゃんと10錠出るかどうか、自分で考えたんや。

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