今年のお言葉

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「今年のお言葉」
「今年のお言葉」になった。どこかに「今年の言葉」とゆうのがあって、今年は、「絆」らしいな。糸が半分で「絆」か。ちょっとあざといようやけど、漢字ゆうのはそんなもんか。つまり、人間関係は、「割り勘やで」とゆうことやな。それなら、いつでも割り勘分をもっとかなあかん。これは、信頼の割り勘やな。飲み代の割り勘のほうが簡単かもしれん。
そのお言葉から行こか。テレビなんかで聞いたことを、「お言葉」にしたこともないし、したくもないが、今回はしゃあない。
芸人の楽屋話の番組は見ないが(それが、世間のテレビ離れの原因や)、たまたまかかっているのを見ていたら、おしっこをしたとき、1本の放物線にならずに、何本かに分かれるときがあるゆうことを話していた。
それを、ブラックマヨネーズの吉田は(ぶつぶつがあるほう)、「今日はこんな日やと思いますよ」と笑いを取っていたが、これには、ぼくも笑うた。それを「お年のお言葉」の一つにする(紳助がゆうていたけど、クラスや学校で一番頭がよかっても、一流校に行くと、自信をなくすように(らしい)、「おまえ、おもろいわ。吉本でも行け」とゆわれて、芸人になっても、芽が出んことが多いそうな。確かに、笑いにも独特の発想がないと受けんようや)。
人間の体はうまいことできていて、寝ると、睡眠の邪魔をしないように、おしっこを止める指令が頭から出ているそうや。それで、起きてトイレに行くと、量が多いのと、早よ出そうとするので、ああなるのとちがうやろかと思うけど、確かに、その後は、45度のホームラン放物線や。
ぼくがゆいたいのは、おしっこやなくても、一日の最初に、「今日はこんな日か」と思わんほうがええとゆうことや。
朝早う動いているとき、「青や」とスピードを上げても、信号がことごとく黄、赤になることがある。そんなときに、このお言葉をゆうけど、リズムが変わると、いっぺんも止まらんと行けるときもあると思うこっちゃ。
「今日はこんな日や」と思うクセがつくと、「今週はこんな週や」、「こんな月や」、「こんな年や」となって、「こんな人生や」で終ってしまう。
状況を冷静に見ることはできているんやから、あとも、冷静に考えようやないか。
一週間は案外長いで。それから、おしっこの出が悪いと早う検査してもらいや(ぼくは、出の心配はなかったけど、人間ドックを受けたら、前立腺に異常がなかったので、ほっとしている。別に使い道はないけど)。
さて、もう一つは、「口の中を見れば、その人の人生が見える」や。これは、ぼくが行っている歯医者の歯科衛生士から聞いた。
「老婆は一日にして成らず」とゆうけど、ぼくも、部分入れ歯をするようになって、案外ショックを受けている。ボーボアールやないけど、「老人は作られる」やな。
向こうの商売に乗って(歯医者は良心的やで)、毎月掃除をしてもらっている。そのせいか、あるいは老化かは知らんけど、左右上下の奥の差し歯が全部グラグラになってきた。
歯医者には、「インプラントを考えています」とテキトーなことをゆうているけど、総入れ歯への道をひたすら走っているのやろ。
今は、朝昼晩ブラウンの電動歯ぶらしで磨いているけど、歯科衛生士のネーチャンは、「このおっさんは元々ちゃらんぽらんの性格なんやろな。それに、インプラントを入れる甲斐性もない」と見ていると見ている。
差し歯も無理となると、総入れ歯しかないけど、その金もないと、歯なしのじじいになるわけや(若いもんで、奥歯が、ときには前歯もないのがいる。ちゃらんぽらんな性格なんやろな。ここでゆうとこ)。
ところで、榊獏山ていたやろ。よかいちのCMで、「これしかないわ」ゆうていたが、酒は飲まんかった書道家や。書は、日本一高くて200万円もするようやけど、奥歯はなかった。
片岡鶴太郎の絵をほんまもんやないとゆうたけど(バクザン発言や)うそもんの歯など入れたくなかったやろか。
奥歯がないからとゆうて、ちゃらんぽらんでも、ビンボーでもないこともあるんや。
せやけど、そのためには、口の中だけでなく、体全体で人生を語るようにならんとあかんけど。これからも、小さいことにクヨクヨしないで、小さいことを考えていくわ。
ネズミのためにせせこましくなったが、とりあえずよいお年を。

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