赤っ恥

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「赤っ恥」
部分入れ歯を入れたことはゆうたけど、この前その調子を歯医者に見てもろうた。
口をあけると、歯医者も開口一番「アッハハハ、その後どうですか」ときた。
「はあ、だいぶ慣れました。うまいことできているもんやなと感心しますな」とはゆうたもんの、腹では「『アッハハハ』はないやろ。おまえがこれしかないとゆうたからやろ」とむかついた。
ただし、この歯医者には世話になっている。良心的で、スタッフもやさしいので、人に紹介することもあるけど、部分入れ歯といえども、入れ歯とう老化を突きつけられて、少しいらつくのや。
歯医者の笑いには、インプラントを入れへんから、こんな恥ずかしいことになるのやとゆう嘲(あざけ)りはないはずや。
確かに大きな困難にぶつかると、自分を落ちつかせるためか笑いが出ることがある。
東北の地震でも、インタビューを受けて、「アッハッハッ、全部流されました」と答えている人がいたけど、その歯医者も、ぼくのショックを忖度(そんたく)してくれて、そうなったと思うようにしている。
入れ歯は3本分で、奥歯で止められへんので、前歯の2ヶ所で止めるようになっている。海賊の義手みたいなもんが2本出ている(舌でさわると、前歯の後ろに下水管が通っているようや)。
装着するところやポリデントを入れるところは人には見せられへんけど、確かに慣れてきた。左右で噛めるようになったのは便利や。
それやったら、義手みたいなもんを取って、ポリグリップでひっつけたらと思うたけど、粘りのあるもんを食べると取れそうになるから、3本分なら飲むこんでしまうかもしれん(現に認知症などのとしよりが飲みこんむことがときどきある)。
それやったら、歯ぁだけでなく、「入れ歯茎」やったらもっと便利や(外したら気色が悪いけど)。
今は、いつかええことが起きて、2、300万円ぐらいのインプラントを入れることができるかもしれんと思うようにしている(なんやかやで1本5,60万するようや)。
太宰治は30過ぎで総入れ歯やったらしいから、それよりましやし、スケベー心が起きても、入れ歯がばれたらカッコ悪いでと自分を制御できるしな。
そんなふうに、心の葛藤があるのは、これで、ぼくの「赤っ恥計」が警戒レベルになっているからや。
まわりのもんが、それくらい「へのかっぱ」やとなぐさめてくれるけど、心のどこかで、昔ならすぐにインプラントを入れられたのにと思うているようや。
前回、性格ちゅうもんは変わらへんとゆうたけど、何かを赤っ恥と思うことは、性格で決まるから、人がなんでもないやんかと慰めてくれるもんでも、死んだほうがましやと思うことがある(せやから、誰かに赤っ恥をかかせようとして、自分が恥ずかしいと思うことをゆうたりする)。
ぼくは、フツーのビンボー人の生まれやけど、生来の見栄っぱりかもしれん(金持ちの子供や頭のええもんには近づかなかった)。
念願の商売がうまくいくようになると、見栄っぱりが頭を持ちあげてきた。
会社を倒産させて、1500万のベンツを400万で売ったときが、「赤っ恥計」は計測不能になっていたような気がする。
今は、次女のお下がりの赤いワーゲンに乗っているけど、鍵のシリンダーがなくて、鍵穴から室内が見える。そして、窓ガラスの開閉ができないので、高速道路で金を払うときは、「すんまへん。ちょっと行きすぎたわ」と「小芝居」をする必要がある。
しかも、最近は寒くてエンジンをかけるのはコツがいるけど、エンジンそのものは、16万キロ走っていけど、ものすごう調子がええ(ぼくの知っている人は、同じワーゲンやけど、4つのドアの開け閉めができずに、ハッチバックから出入りしている)。
国産に乗るなんてビンボー人のようなことはできないと密かに思うていたころと比べて、ぼくの赤っ恥に耐えられるようになった。
また、いつかええことが起きて、国産でも新車が買えるようになるやろと思うようにしている。
三島由紀夫なんか、50才以上生きることは赤っ恥と考えていたようで、ほんまに45才で死んだ。
また、25日の給料日以後に散発をすると、「給料が入ったから散発をしたな」と思われるのがいややゆう人がいたが、自分の「赤っ恥計」を上げないようにするのが大人になるとゆうことなんやろ。もっとも、人前でパンツを脱いでも恥ずかしくないゆうのはやりすぎやろけど。

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