田中君をさがして(30)

      2016/04/05

海は、二度目に見ましたが、変な気分でした。そこに向こうにブラジルや雨入りかがあると言う感じがわかりませんでした。ぼくらは、三頭s伝質に今視tが、ぼくは、得がうまいと言われて、上等な部屋にいくことがありました。父は、ひじょうに怒りましたが、尾立つ遅れるので、兄弟たちは喜びました。
そして、ロッ高山の向こうにはあ、ぼくの家があり、叔父さんたちもいるのだと思うと、山を越えたくなりましたア。
ブラジル丸の就航には、叔父さんたちも着てくれて売れしまったアデス。あんなに遊んでくれたあの二、もうあえなくなるか亜も知れないと思うととても0悲しいもいをしました。父も母も他愛へん喜んで、泣いていました。
船のな亜kでは、運動会などがあり楽しかったで。
ぼくたちは、三等船室にいたのでが、ぼくの絵が青も白いと言って、新聞に載りました。毎月、一途ウッ船室に行きました。そこで、おやつをたくさんもらいました。其れが、父には、おもしろくなかったらしいのですが、そのおやつは、おいしくてばりばり食べていました。

しょうわ32年」
サントスと医務港に着きました。

「そのご、入植いたしました。前の人が出て行った家に入りました。学校、森で、獣を取ったり、魚を取っています。父は、日本では、農業が嫌いだったといっていました。しかし、大きな夢をつかみ、ぼくらを幸せにするということをいつも考えて印すから、だれにでも聞いています。一度、若い頃、都会に行ったのxですが、うまく遺憾九手悩んでいたということです。本とは、何かを聞くことも嫌いです。だから、ぼくら兄弟の方が言葉ウィ早く覚えています。近所の人がおっしえてくれています。ぼくらも友達方アクサンで着ました。
西暦

「日本では、オリンピックが開かれると言うことを知っています。父が、事業を始めました。父は、他人と尾奈味事をしていては、夢をつかめ得ないといいました。それで、親しくなった人のコーヒー農園を、かなあらず飼うことをしました。つまり先物取引身店子とです。儲かるときも損をするときもありますが、おたがい譲歩しあうので、つまり、方策のときは父が払うし、不作のときは、相手もあまり無理をいいm線。父は、大きく変わりました。ゆmをつかむということで、ブラジルへきましたが、父の夢はナンだったんでしょうか。ぼくらをぶんぼうから解放することだった阿野で消化。ぼくの夢、其れも今わかりません。とにかく一生懸命生きていきます。叔父さんも元気で。人と父が、品物を買ってきて、売る仕事を始めました。幸福です。


ぼくは、大学へ行っています。そして、結婚しました。ポルトガル人です。父が反対してなかなかできませんでしたが、ようやく認めてくれました。しばらく会社爪目をしてから、父の事業をします。働きすぎたのか、めっきり体が弱ってきているようです。母も、

「妻が病気がちです。しかし、夢を忘れることがありません。

ところで、パパh亜、芳川さんのことでおもしろいことを思いだした。
其れは、地元でh、芳川事件と言われているものらしい。ご飯のとき荷物はしだ。世しかwさんは、芳川さんは、6年生のとき、
父親が、はしを持つときは、もっと短く持て、そんなに長くもつと、まずそうに見える。お母さんが一生懸命作ったのに。と怒った。
芳川さんは、このように食べると、いちばんおいしいからといった。祖スト、父親は、もうタベルン後b、食卓をひっくり返した。
これを、由か亜wさんは作文に書いて、私が悪いのかと先生に訴えた。
それを、広報が聞いて、芳川さんの父親の肩を持った。
パパの話では、求職が始まっていたのだけど、子ウッ町は、ミルクは、こんなものじゃない、パンとはいえないは。惟では、おいしい鋳物を食べることが教育だと考えていた広報は、芳川さんのお父さんの怒りに同情した。それは、アメリカの陰謀で、日本人は、麦飯であろうと語、ご飯を食べなければならないと考えていた校長は、スプーンとフー区は仕方アガナ会いとっしても、おかずは、はしを使うことを決めた。
人間は、食べること肩、文化が恥じ間あるのだからといっていたらしい。
其れは、教師、PTAを巻き込んで、給食をそうするか、たとえば、ときどきご飯を入れるとか、おかずは橋で食べさすとか、喧喧諤諤と鳴ったらしい、一番困ったのは、」世しかwさんのお父さんで、騒ぎが大きくなって、虫目がおてんばだと言う噂が立って、嫁にいけなくなると困ったらしい。そういえば、h字を長く持つのは、根気が遅れると言うことも言われたらしい。
それで、みんなはしを持って求職を食べるようになった。パパは、黒巣橋といって、重なるような持ち方をしていたけど、それで直ったといっていた。しかし、ぼくが見るところ、今でも黒巣橋に鳴っていいる。そのことを言うと、はしの持ち方は個性だ。みんな違うから見てご覧。惟も、見るべきほどのことだといった板が。
とにかく、芳川さんは、自分の意見をちゃんと言う人手、パパもあこがれていたといったいた。

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