田中君をさがして(27)

      2016/04/05

田中君が、行ったように、インド洋に向かって、大西洋に行く船はないので、世界一周のごっ書きゃ苦戦に似るのだ。田中君は、子供心に苦労したのに、ぼくらは、大金持ちの旅行だった。田中君に会いたいと言うのは、口実じゃないのかと思った。

ママのことは、だ愛丈夫だ、連絡をsルから。ママも理解して句ッル十思う。
お金は大丈夫?
ママと湯kky利するためとお金があるかあら、それをつかうよ。豪華客船は、夢のような町寄るが、南米大陸のチリにあるバルパライソと言う港につくとか手アル。なんだか、あぶらかたぶらのようななにかふしぎなものを、たくさん隠れているような名前だ。ぼくは、だんだん興奮してくるのを覚えた。
おまじないのようなな甘えだ。
後からきったのだけど、死んでしまいたいと言う気持ちがもの巣五あふれてきたのだ、でも、病気のママや妹やぼくがどうなるのか考えると、悩んでいた。そこへ、田中君が現れた、夢だけど、
パパは、田中君の苦労を知るべきだと思った。それで、ブラジル移民の本を何冊も図書館でかりた。あの夏休みの宿題が頭から離れないのだ。想像力は、現実をきることができるのだ。ぼくのも其れがわかった。たとえば、あそこに何があるのかと想像をめぐらして、そこへ行くこと。そこに現実ができるのだ。なんでもないように見えた。
それから、どう生きるかを考えることに下。
それに、とパパは言った。家長教育をお前に志ときたのだ。かちょう?其れは、家長と言って、今家族がばらばらになっているのは、其れが原因だと言うことだ。それについては、船でパパが教えてくれる子t6尾に鳴っているん。
ぼくは、武井先生のマネかと思ったが、仕方がない。田中君も、小学4年だったらしいので、ちょっと気持ちが揺るいできた。
田中君の住所は?
ブラジルの
そう、
来週の日曜日調べに行こう
わかるの
たぶん
それで、パパが生まれた町に、車で行った。
まず、実家に行った。パパは、パパのおばあちゃんが、派ぱあを河合があって、通信簿だkでなく、教科書、津戸など、みんな置いている押入れウィあけた。そこには、ぱあぱあが作った工作もあった。強化や、テスト、手の彫刻切手など
年賀状に使ったゴム版など、パパにこと花でもあるようだった。しばらくsがしていたぱあぱhああ、合ったと叫んだ。そこには、箱のようなものがあった。惟だよ惟だよ。これが亜、棚赤君が作った海のそこだ。
ぼくは、45年前のものだ。
ところで、名あんなで田中君の個言う策が、ぱあぱのいえになるのかわからなかった。どうしてここにあるの。
パパは、困ったような顔をしていたが、多分、田中君が学校に来なくなった阿野で、多分パパあが持って帰った亜様な明きがする。といった。
だから、返しに行かなくっちゃねと笑った。
4年^組みとかいてあった。くもは読めなくなっていた。
田中あの下との字も読めなかった。
ッパ葉、おじいちゃんと、おばあちゃんに急いでいることを行って。また来るからと出て行った。
もちろん、田中あ君に咲く日羽しっかり持っていた。0公衆電話で、田中と言う性を探すと、16件合った。それで、5,6件かけたが、わからなかったので、近くの食料品店に入った。
ごめんください
だれもいないのかと思ったとき、置くから、すみませんと言いながら出てきた人がいた。50歳ぐらいのおばさんで、どれでしょうときってきた。パパは、ちょっと聞きたいことがあるのですがといって、田中君のことを聞いた。おばさんは、少し考えていたが、田穴家訓のことを思い出すより、あなた、小林君?ときいてきた。創です。小林勇太郎です。だれでした・
田村、いや、芳川美智子です。よしかわさん
懐かしいな。そうね。ところで、田中君て?
小学3年か4年生のときに、ブラジルに移住した子。
移住。いたような子がいたな。
そういえば、叔父さんだけ残っているね。教えるわ。私も行きたいけれど、ちょっと配達があって。お店は?
配達が優先、このお店は私が一人でやっているから、だれもわかっているから、また後書き着てくれるわ。
ぼくたちは、そこへいった。
ごめんください。
嫉妬していたが、置くから、田中さんですか。
私は、ヘルパーと言って、田中さんのお世話をしているものです。ちょっと聞いてきます。
お爺さんが出てきた。お前らはだれじゃ、と興奮しているようだった。
ブラジルへ行った田中君を探しているのでス。
そんなヤツはしらんと言って、奥へ引っ込んでいった。
ヘルパーは、田中さんは調子が悪いのでといっしょに奥へ行った。仕方がないので、ぼくらは、家を出て、しばらくして、芳川さんの店へ行った。

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