シーラじいさん見聞録

   

そして、自分から潜った。こんなことははじめてだ。リゲルもすぐについていった。
すでに一つの班は、教官を挟んで5頭ずつに分かれているのが見えた。その間は100メートルぐらいだった。
そして、待機している班から1頭が出てきて、教官のそばに行った。それが追われ役になるようだ。
教官が離れた。すると左側の5頭がゆっくり動きだした。追われ役は、それに気づいて逃げた。5頭は追いかけた。負われ役は必死に逃げた。
反対側では追われ役を待ちかまえていたが、追われ役は急に方向を変えて逃げた。
すぐに教官が出てきて、みんなを集めた。
リゲルがお兄さんを見ると、顔に表情が戻っていた。見たことがわかりだしたかもしれない。
待ちかまえているほうの数が多くても、相手が形相を変え、必死に逃げてくると、経験のない者はどうしても弱腰になり、味方が固まってしまうのだ。そうなると、相手は易々と逃げることができる。
リゲルにも覚えがあった。パパは、「相手は必死だ。しかも、おまえより大きいことがある。少しでも油断をすると命を落とすことがあるぞ」と繰りかえし教えてくれたものだ。
「もっと広がらなくて相手に逃げられますね」リゲルはお兄さんに声をかけた。
お兄さんはリゲルのほうを向くこともなく、また何も答えなかったが、顔には微笑が浮かんでいるようにみえた。
お兄さんは、ときおり海面に出たが、すぐに潜った。
まるで自分が教官になったかのようで、どんな些細なことも見逃さないというようだった。
その後も、あるとあらゆることを想定した訓練が終った。
子供たちはくたくたに疲れていたが、訓練を食い入るように見ていたお兄さんに興味があったのか、帰るときお兄さんとリゲルの近くまで来た。お兄さんは、とてもうれしそうだった。
翌日は、縦の挟み撃ちの訓練だった。
教官は子供たちを集めた。
「おれたちの体を見てみろ。腹の色は薄いだろう。下にいる者にとって、これでおれたちがいることがわかりづらいのだ。
おれたちであっても、相手を撹乱させなければ生きていけないことをおぼえておけ」
「はい」返事が響いた。その声は昨日以上に力強く聞こえた。
「今日でここでの訓練を終えて、明日から外海での訓練がはじまる。
ここはおまえたちをやさしく包んでくれた。技術がなくとも、あるいは力を入れずとも、頭に描いたことができた。だから、自分を過信する者がいるのだ。
しかし、明日からはおれたちが生まれ、生きていく海だ。そこには魔法はない。ごまかしのない自分が出るのだ。最初は小さな相手を取りのがしてしまうだろう。
親や親戚が見かねて助けてくれるだろうが、いつまでもそうはしてくれない。
しかも、おれたちは、他の場所にいる仲間とちがって、社会全体で助けあって生きてきた。つまり、今は大人から生きていく知恵を学んでいるが、大人になれば、子供や老人を助けていかなければならない。
腹を空かしている者がいれば、自分が我慢をしてでも分けあたえなければならない。
今度は、おまえたちが年を取っても、あるいは病気になっても、みんなが助けてくれる。
だから、自分の技術を高めることが社会への義務であることを忘れるな」
「はい」さらに力強い返事が響くと、別の教官が、縦の挟み撃ちを教えはじめた。
「相手の下に行き、上に追いこむ。今聞いたように、おれたちの体は見えにくいので、おれたちに気づいて下に戻ろうとしても、横に逃げるより時間がかかるため確実に相手を捕らえることができる。
しかし、あちこちに逃げられて、上にいる者が追いかけられないという恐れがある。
それを防ぐにはどうしたらいいのか言ってみろ」教官は聞いた。
1頭が前に出た。「ちがうほうへ行くことで、ちがう者を追いかけていると見せかけるのはどうでしょうか」
「おもしろい考えだが、相手は必死で逃げるので、そこまで頭が回らないな」
「それなら、相手がいくらいても、とにかく一頭を追いかけて仕留めるはどうでしょうか」「相手が小さいのなら食料としては物足りない。相手が大きいのなら、今の技術なら、上の者との連携がなければむずかしい」教官はそれも可としなかった。
子供たちは答えられなかった。
「おれたちには、力、速度で誰にも負けない能力がある。しかし、それだけではない。
おれたちは、離れている仲間と話ができるが、さらに遠くまで届くようになる。
そして、向こうに何があるかわかる能力を伸ばせば、相手の動きを止めるこおtもできるのだ」
子供たちから感嘆の声が上がった。
「ただし、経験を積まなくてはならない。そうなれば、相手がいくら大きくても、いや、大きいからこそ、動きを制しながら、上にいる仲間に、相手がどこに向っているか知らせることができるから、互いに協力して相手を確実に捕らえることができるんだ」
訓練がはじまった。追う者たちは、上にいる者に、「今いる場所から左に向っている」、「おっと、方向を変えた。元に戻れ」などと叫びながら、追われ役を追いかけている。
その叫び声は、経験も大事だが、意識をどう集中させるかなんだとリゲルは思った。
子供たちの声は大きくなってきた。教官の話がまちがいなく伝わっているのだ。
真剣な訓練に興奮してきたのか、お兄さんの体が揺れていた。リゲルは、お兄さんが訓練を邪魔しないか心配になった。

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