世論サービス
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復活ノート
「世論サービス」
京都で大学生活を送りましたが、学生運動で授業がないのをいいことに、バイト、飲み食いに明け暮れました。そのためには、自転車はなくてはならないものでした。
しかし、飲みすぎて自転車をこぐと、まっすぐ行こうとしてもふらふらになり、住宅の石垣にぶつかったりしたものです。
自転車は壊れるわ、靴はどこかにいってしまうわという情けない状態で下宿に帰ったことがよくあります。今なら、現行犯逮捕となって、罰金が課されるにちがいありません。
しかも、無灯火、歩道通行、ケータイを操作しながらの乗車も、違反となるようです。
警察庁は、「自転車は車道走行が原則」として、細かいルールを作っている最中ですが、ヨーロッパのように、自転車専用レーンが取れない日本では、法律だけでは律しきれないでしょう。つまり、「権利と義務」だけでは、社会は機能しなくなっているのです。
世の中が複雑になってくると、それは、自転車走行だけでなく、ありとあらゆることに共通の課題になってくるのではないでしょうか。
現代社会の下地は、「他人に対する無関心」です。「他人のことなどほっておけ」が、家庭内暴力や虐待、あるいは、老人が引き起こす交通事故にまで繋がっているような気がします。
そして、その上に立つ「権利と義務」、わかりやすく言えば、「やられたら、やりかえす」は、子供や、大人になりきっていない大人の専売特許と思っていましたが、国や社会でも、「正義」としてまかりとおっているのです。このままでは、地球の次に大事な社会がなくなってしまうような気がします。
こんな時代、こんな世界だからこそ、「他人に対する温かい目」を育てるサービスはどうでしょう?
もちろん、ネットを利用します。それなら、「すでにmixiやFasebookといったSNSがあるじゃないか」といわれそうですが、それらは、コミュニケーションにとどまっています。
私は、社会の居心地をよくするための世論をまとめるサービスを考えています。
法律だけでは限界があること(自転車通行など)から、TPP,加入、原発の是非まで、社会の意志を明確にしたいのです。
「これこれに対して、どう思いますか」と問題提起していくのです。
もちろん、自転車走行も、同じ人が、自転車に乗っているときと、車に乗っているときでは、考えがちがうでしょうし、TPPや,原発も、同じ人でも、情報によって迷ってしまうかもしれません。
しかし、なんらかの結論を出さないといけないのですから、世論の方向を見つけることが必要です。
どうも、世界の国は(一部を除いて)、目の前の難問をもてあましているような気がします(資本主義の終焉とさえ言う専門家がいます)。
国敗れて山河あり、といいますが、近いうちに、国敗れて社会あり、となるかもしれません。
そうなれば、法律より大事なものを持っている社会が生きのこるのです。つまりは、「助けあっていこう」という気持ちがあるかどうかです。
このサービスが無視できない存在になれば、これに関わらなければ、社会に貢献できないという企業が増えてくるはずです。