ボランティア

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復活ノート

「ボランティア」
人の力(マンパワー)を「社会資源」と呼んで、介護保険を作るときの基本となりました。
介護(育児も)を、社会全体でやろうということですが、無料というわけにはいかないので、介護保険料が徴収されています(しかし、どこも、思うように儲かっていません)。
今回の震災でも、ご承知のように大勢のボランティアが全国から駆けつけました。
阪神大震災のとき、人の心に溢れた、やむにやまれぬ気持ちが、日本で初めてのボランティア活動になり、それが組織的になったのです。
企業では「ボランティア休暇」などができ、また、介護・福祉関係でも、多くのスタッフが現地に行っています。
また、自転車屋さんや散髪屋さんなどが、1人で被災地に向かい、自転車を直し、散髪をしていることも聞いています。すばらしいことですね。
これで、「いざ鎌倉へ」のときは心強いことがわかりました。
「いざ鎌倉へ」が「有事」とするなら、社会的には「平時」でも、個人にとって「有事」のときは、誰でもあるものです。
私の知りあいの夫婦はドイツで生活しています。主人は大学教授ですが、給与の遅配が続いていて、生活に困っていました。
しかし、小さい子供が5人いましたが、奥さんは、大学で勉強を続けて、しかも、夏休暇は、デンマークに行くと言っていました。
市役所に申しこみをすれば、無料で子供を見てくれる人がすぐ見つかるというのです。
私は、日本で最初の「育児や介護のサービス」を提供する会社をしていましたので、それ以上は聞かないようにしていました。
さて、社会的有事のときように、個人的有事を助けるシステムはできないものでしょうか。
何百億、何十億どころか、1万円でも余裕がないが、自分にできることなら、社会の役に立ちたいと思う人は大勢います。
特に、私のような団塊世代は、時間があって、体力的にも自信があります。
もちろん、遠くにはいけないが、近場なら大丈夫です。犬の散歩でも、植木の水やりでも、墓掃除でも、買物でもやります。
社会的の役に立っていることをすれば、社会という存在が気になるのではありませんか。
原発は、地元の人、あるいは一部の専門家などからは、危険であると指摘されてきましたが、それ以外の大部分の国民は、政府や電力会社が安全だと繰りかえし言っていたし、生活に支障がなければ、原発であろうと、水力発電であろうとかまわないということだったのです。
しかし、今後、地震(津波)は頻発する兆候があるようですし、海面温度が上がり、台風が日本付近でできるかもしれないとのことです(「想定外」を「想定内」にせざるをえないのです)。
ボランティアを通じて、社会を考えるようになれば、政府は、都合の悪いものを隠せなくなります。政治家や役人は、利権に群がることができなくなります。
今回の原発事故で、セシウムは広島型の百何倍、ストロンチウムは何倍とか発表されていますが、社会のインフラとしては最悪の状況ではないでしょうか。
裕福な人は、日本から出て行くでしょうが、社会のために、ささやかなことをしようと思う人を集めれば、日本の社会は必ず立ちなおるはずです。資金も集まると思います。