二十四節気

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復活ノート

「二十四節気」
立秋が過ぎたとはいえ、まだまだ残暑が厳しい毎日です。
「立秋」という言葉は、ご存知のように二十四節気の一つです。二十四節気は、月の満ち欠けをもとにした太陰暦から、太陽暦に代わったときに、生活(特に農作業)に便利なように考えられたと言われています。
二十四節気は、1年を24等分していますが、節気と節気の間に、「雑節」というものが日本で考えられました。
たとえば、「節分」とか「彼岸」とかいうものです。これも生活や農作業の指針となるもので、昔は70以上あったそうです。
しかしながら、元々が中国の季節の移り変わりをあらわしているので、日本での実情に合わないところがあります。
しかも、この気候変動です。早く涼しくならないかと願っているから、余計に「立秋」や「処暑」が恨めしいのかもしれません。
しかしながら、山道に迷って、遠くに人家の明かりが見えたときのような気がするので、二十四節気は、今も生きているのかもしれません。
私は、老化防止、記憶力保持のために、気象予報士受験の公式などを、毎朝そらんじるようにしていますが、二十四節気や雑節も全部言えます。
それはともかく、「半夏生(はんげしょう)」という7月2日ごろの雑節があります。
「半夏」とは、ドクダミ科の草で、これが生えるまでに田植えを終えないと、収穫は半減すると言われているのです。
これは、百姓にとってものすごいプレッシャーだったにちがいありません。
用事があろうと、病気になろうと、それまでに田植えを終ることが至上命令だったはずです。
以前、自分の予定を、1日でできること、2日でできること、1週間でできること、あるいは、1月、1年と分けると充実した人生が過ごせるのではないかと提案しました。
別にできなくて、「明日があるさ」と考えて、寝るときには、今日できたことを数えるのです。そうすると、気持ちよく寝られます(ようやく散髪をしたことも、その一つに入れましょう。気持ちが晴れやかになりますから)。
それに合わせて、自分の二十四節を作ったらどうでしょう(少なくてもかまいません)。
「それ」をするための準備をするようになります。
私のように、意志の弱い者にとって、努力の目標になるような気がします。
今回の災害では、東北地方以外の者にとって、何の被害もありませんでしたが、いつどうなるかわかりません。
阪神大震災のときは、多くの親戚が(死んだ者はいませんでしたが)、家屋の被害を受けましたんので、その苦労を知っています。
非常のときも、平常のときも、目標をどう設定するかが人生を決めると思います。もちろん、復活の時代も。