新年の挨拶

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復活ノート
「新年の挨拶」
明けましておめでとうございます。
遅ればせながら新年の挨拶を申し上げます。何度も書きましたが、70近くになっているのに、昨年3月にパソコンを買い替えてから「パソコンいじり」に没頭してしまいました。
「やることがあるやろ。ほどほどにせえよ」と毎日自分に言い聞かせたのですが、時間があれば、「これはどうやろ?」という誘惑に負けてしまうのでした。
しかし、パソコンのことは大体わかってきたので、「あれもしなくては」という気持ちはかなりおさまってきました。
しかし、その間にも、ファンタジーは書いていました。
ただ、別の原稿が書けず(二つのメルマガに3本の原稿がいります)、今まで日曜日と木曜日の締め切りを守っていたのにそれもほったらかしをすることが増えてきました(一度さぼると、だんだん学校に行かなくなる子供のようです)。
とにかく、頭はかなり元に戻ったようですので、今までのようにがんばります(くどいですが、童話はたまっているのです)。
さて、今年はどうなるのでしょうか。敵味方ともアメリカに振り回されるのでしょうね(大統領が変わることを期待していたロシアや中国も、「えらいことになったぞ」とひやひやしているかもしれません)。
それで思い出すのは、今朝日新聞に連載されている元朝日新聞社員の夏目漱石による「吾輩は猫である」です。
漱石は自分の考えを、名前のない猫と苦沙弥(くしゃみ)先生に語らせていますが、全編通じて今でいう差別用語が満載です。
曰く、「良民(国民)が貸している権力をさも自分の持ち物のように使っている役人や警察官は気違いだ」というようなことです。
また、ちんば、めくら、つんぼなども出てきますが、当時は普段から使われている言葉ですし、しかも、漱石は肉体的に嘲笑う意味では使っていません。
新しい時代になっているのにも関わらず、欲のためにのみ動く人間の姿を表現するために使っているのです。
100年以上立った現代も変わらないような気がします。ただ、今生きている権力者にこの言葉を使うと話はややこしくなりますからやめますが、今度のアメリカ大統領は口には出さずとも、演説の時に障害者の真似をするような人間です。
それをハリウッドの俳優が非難すると逆切れです。
ハリウッドも、今や映画の都として世界にそのハリウッドも、今や映画の都として世界にその名を轟かせていますが、元々ニューヨークにありました。
ところが世界の発明王と言われているエジソンは世界の裁判王でもありまして、とにかく自分の発明はただでは使わせないというわけです。
「金を払え、金を払え」という攻撃を避けるために、映画製作者は東の端から西の端まで逃げたと言われています。
今回も、大統領はエロ映画に出るのは大好きのようですが、ハリウッドを目の敵にしています。ハリウッドは今度もピンチを乗り越えていくでしょう。
孤立無援の私たちですが、どんなことでもとは言わないまでも、自分の復活ぐらいはできると思ってピンチを楽しんでいきましょう。