
宗教
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復活ノート
「宗教」
上岡龍太郎は58才の時芸能界を引退しましたが、彼特有の表現で、「ある朝、鏡にえらいおじいさんが映っていたので誰かいなと思ってよう見ると自分やった。それでやめることにした」と言っていました。
横山ノックが議員になったので、「漫画トリオ」ができなくなり、1人で活動するようになりましたが(どうもフックとは仲がよくないようでした)、「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流」から、人気に火がつくと、人生設計ができていたためか東京で司会をするようになりました。
釣瓶には、「14億儲けたからな」とか言っていましたが(「それはないわ」と釣瓶につっこまれていましたが)、その後、「ああゆうて絶対帰ってくるわ」という期待にもかかわらず、テレビに出ることもなく、もう10年以上立ちました。
「おじいさん云々」は本人が実感したことだと思います。この年になると、それがわかります。私の場合は、鏡で顔全体を見ることを避けていますが、家族と写真を取ると、「これはとしよりだ」と思うようになりました(たまたまの1枚ではなく、全部がそうです)。
「自分はただのとしよりじゃないぞ」と考えていても、中身を知らない世間は、姿形で、相手を(私を)としよりのカテゴリーに入れるのです(コンビニの年令確認ボタンのように)。
私たちは、カテゴリーに反発や抵抗したり、うまく利用したりして、年を重ねていくのでしょう。
ただ、残された時間が少ないということに気づいて、うまくバランスを取れなくなることがあります。また、病気や貧困などで、どうしたらいいのかと焦ることもあります。そういうときは、救いの手がないかと思います。
日本には、無宗教であることが良識ある大人の生き方だという考えがあります。これは日本の歴史を反映しているのでしょう(宗教にかぶれるのは不道徳だというような)。
私もそうですが、ときどき妙に寂しくなる時がありまして、ちょっと困っています。
それなら、宗教本でも読んだらと言われそうですが、日頃から読んでいないと全体の考えがわかりません。
それなら、どこかの教会でも行けばと勧められても、そういう習慣がないので無理です。
とにかく、今後、医学の進歩だけで人間は大丈夫でしょうか。国家の考え一つで戦争がはじまれば、人間の絶滅さえ考えられるというのに。
だから、宗教は国家にとって邪魔な存在なのでしょう。それは、戦前の日本を見てもわかりますし、最近の中国でも、キリスト教を徹底的に弾圧しているのを聞いてもはっきりしています。
宗教は(金目当ての宗教は論外ですが)、心に結びつくものだからでしょう。
現代や未来の社会に合う宗教があれば、現代や未来に生きる人々の心を救うので、多くのあつれきを減らすと思います。
誰か、神の啓示などはいりませんから、その宗教を作ってくれませんか。まずはこの寂しさを受けとめてください。