
選択
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復活ノート
「選択」
思うようにいかない人生でも、なにもなければ、たとえ自堕落な生き方をしていても、できるだけ長生きしたいと思うはずです。つまり、選択肢はありません。
しかし、身内に何か起きたり、自分の体に支障ができたりすると、いつ死んでもかまわないという思いが生まれるかもしれません。選択肢が生まれたわけです。
そうは言っても、死ぬという選択肢を選ぶなんて通常ではできないと思うのですが、年間の自殺者が3万人を越えていて、しかも、かなりの割合を若い人が占めていると聞くと恐ろしい気がします。
20代どころか、30代、40代でも生きるエネルギーはものすごいはずなのに、そんな選択肢を選ぶのは、精神的なものの仕業としか思えません。
とにかく、人生は「選ぶこと」だと思います。そんなことは何回も言ってきましたが、最近、心臓に異常が見つかったので、その思いが一層強くなってきました。
死ぬまで元気だと確信していたのに、自分は病気か、しかも、ひどくなれば突然死するかもしれないと聞くと、少し考えてしまいます。
若いころ、1年の間に25、6才で突然死した兄弟を知っていますし、数年前には、一つちがいの従兄弟が突然死したものですから、今度はぼくかと思いましたが、先天的なものはないようですし(あれば、もっと早く出ていたはずです)、医学も進んでいますので、予防をすれば心配ないはずだと自分に言いかせれば気が楽になりました。
これを好機と捉えて、目の前の「あみだくじ」を真剣に選ぶことにしました。
人生は頭のいい人のためだけではなくて、ぼくような出来の悪い者にも等しく与えられています。
そして、頭のいい人は、人に聞くのが苦手ですから、選択をまちがうこともあるでしょう。
ぼくのように出来が悪いのに、人に聞くのが苦手なのが一番始末が悪いですから、ここがポイントです。
つまり、自分は出来が悪いから、人に聞くべきだし、聞く勇気がなければ、いつ突然死するかもしれないのだぞと自分に言い聞かせたら、何でも聞くことができるのです。
ピンチがチャンスに変りました。そして、聞くのは人にだけでなく、自分にもです。
それで、今のように朝から走りまわる仕事はそろそろやめようと決めました。客がいるので、すぐにはやめられませんが、1,2年を目途にします。
少しすれば、一日中本を読んだり、文章を書いたりして過ごせるのです。これなら心臓も喜んでくれるはずです。
何かを選ぶときは、その次はどうなるのかを考えなければなりません。
「どちらか早く」とせっつかれると、禄でもないことになるのはそのためです。営業というのは、期限を決めたり、おまけをぶらさげたりして、せっつかせることです(スマホの営業のごとく)。
自分のことは、ゆっくりというより、先を見て選びましょう。