幕引きビジネス

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復活ノート

「幕引きビジネス」
今日(7月14日)は私の誕生日でして、めでたく高齢者(65才~)の仲間入りを果たすことになりました。
雨は水蒸気だけでは生まれず、空中に浮かぶ粉塵やほこりといった「エアロゾル」に水分がくっついたものです。それが雲になったり、大雨になったりするのですが、高齢者も、「日本の暗雲」の材料と思われているかもしれません。
長い間、かなりの税金を納めてきたのに、「団塊世代の医療費が・・・」などというニュースを聞くと、「別に戦後すぐに生んでくれてと頼んだおぼえはない」と言いたくなります。
子供4人を社会に送りこんでいますので、どうぞ許してくださいと頭を下げますが。
なんだかうれしそうじゃないか、ひょっとして満額の年金が入るからかと言われそうですが、それもありますが、入るのは10月からですから、まだまだです。
とにかく、自分が徐々に年を取っていくと感じることがあります。人間は80,90になっても、記憶力も想像力も衰えることがないという医学的な研究成果に励まされて、早朝からジョギングをしたり、気象学や医学などについての新しいことをどんどん暗記していますが、世間は、人を2つ、3つのカテゴリー(例の県会議員の言葉を借りれば)にしか入れないということです。すなわち、ガキ(小娘)、大人、じじい(ばばあ)。
いつも、「チョイ悪おやじ」(古いか)の格好と、「ツーブロックのソフトモヒカン」のような頭をしていても、30過ぎの女に、「くそじじい」と言われたことがあります(セルフのガソリンスタンドで注意したことで怒ってきました。同乗者によれば、典型的な精神疾患者でした)。
普通の社会人なら、思っていても言わないことが「ごまん」とありますが、常識が欠落している人は、「こいつはじじいのカテゴリーの人間である」(「くそ」はつけてほしくないが)と思ったから口に出したのでしょう(確かに孫が3人います)。
その経験から立ち直るのには少し時間がかかりましたが、今も、どんどん走り、どんどん暗記しています。
ただ、頭はそうでも、体の老化は進んでいるようで、最近、不整脈だ、弁膜症だと言われてしまいました。来月早々には、「電気ショック」というものをする羽目になってしまいました(AEDのようなものです)。
簡単な治療なので、死ぬようなことはないでしょうが、人間はそうやって、自分も、他でもない自分も、いつかは死んでいくのだなと思わされるようになるのでしょう。
死ねば、誰かが化粧してくれますが、その下は安らかな顔もあるでしょうが、たいていは、「もっとあれをしたかったのに」という時間ぎれの顔がほとんどのように思います。
それは、あちこち走りまわらなければならない用事から、誰かにお礼の言葉を残したいというようなものもあるはずです。
まだ元気で、肝心なことは自分でやるが、誰かにしてほしい雑用がある。また、家族に内緒で進めたいことがある。それらを引きうけるビジネスはどうですか。
死、すなわち人生をまとめるビジネスです。どんなことでも、始めるのは簡単ですが、終わるのは大変ですから。