セカンドホームサービス

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復活ノート

「セカンドホームサービス」
私は、1972年(昭和49年)に、ベビーシッターサービスや、介護保険法が施行される前から在宅介護サービスを考案・企業化したことは何回も説明しました。
当時は、経済が飛躍的に伸びていて、常に人手不足でしたから、主婦にも働いてもらわないと困るというのが社会の要請でした。
今では笑い話ですが、ファミレスにいっても、20代のウエートレスはほとんどいなくて、30代、40代、なかには50代の女性が、ミニスカートをはいて接客していました(20代は、もっと時間給が高い職場にいました。しかも、時間給が10円でも高いほうへすぐ移るといわれていました。つまり、人手の取りあいでした)。
だから、家には、子供しかいなかったので、私のビジネスが急成長したのでしょう。
しかし、まだ「介護」という言葉は、社会的なものではありませんでした。育児、とりわけ介護は、個人的なもので、社会や国が関知するものではないと思われていました。
あるのは、「生活保護」という制度だけだったのです。
その後は、「少子・高齢化」が、あっというまに日本を揺るがしているわけです。
介護スタッフを、フィリッピンなどから呼ぼうという意見もあるようですが、当のフィリッピンの若い人は、日本ではなく、カナダやアメリカに行きたいらしいのです。
外国人に、「汚い」、「きつい」などの3Kとか4Kとかいわれる仕事をさせるが、日本国籍を認めたくないということが通用するかどうかということです。ただし、介護は、資格以前に人間性が問われる仕事です。
ところで、当時から「核家族」という言葉が知られていました。つまり、おじいさんとおばあさんは、田舎で暮らしていました。そこで、私の同業の中には妙なことを考える者がいました。60、70代の女性を、「擬似おばあちゃん」として派遣するサービスです。
これは、アイデア倒れでしたが、「本来の家庭像」へのあこがれが社会にあったのを察知したのかもしれません。
時は流れ、私のスタッフがお世話した子供たちも大きくなりましたが、進学や就職のために、別の都会で「一人暮らし」をしているす若者も大勢います(東京などは、所帯数の中の「一人暮らし」の比率が、5割以上とか)。
そこで、また別のビジネスを考えました。高齢者の独居は注目されていますが、若者の独居をサポートするのです。家庭の居間のように、食事を用意して、しばらく話をして、自分のマンションに帰るのです。つまり、セカンドハウスではなく、セカンドホームです。
最近は、「個室」から「個食」になっているといわれていますが、私は、以前から、次の段階である「孤話」になっているといっています。それが、ネットが原因で起きる事件の背景にあるかもしれません。ひょっとして「セカンド」でなく「ファースト」に感じる若者がいるかもしれません。オーナーは、家長的な存在になるわけです。ここがポイントです。
本人は、都会の孤独に落ちつぶされることもなく、心身とも充実した生活が送ることができます。実家の親も安心するでしょう。
ところで、年配の者がどんどん来たらどうします?