任す
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復活ノート
「任す」
AIJが、2000億円の企業年金基金を消失したことが問題になっています。
今日(3月4日)は、さらに「基金に天下りをした旧社保庁のOBが、AIJを薦めていた」と報道されています。
AIJは、金がほしいし、基金は、運用に苦慮している最中です。「漁夫の利」という諺(ことわざ)があります。本来は、AとBが争っているときに、Cがなんなく利益を得ることですが、OBという漁夫は、両者の思惑を結びつけて、利益を得たようです(役所で退職金を貰ったあと、基金では、1000万から2000万の年収があるというのです。しかも、AIJから、数百万の紹介料もいただけるそうで、この不景気に、なんとリッチなことでしょう)。
事件を報道するマスコミも、かなりの基金がAIJに運用を任せています(朝日新聞などは、数年前からAIJはおかしいと報道していたのに、自分の基金は、AIJに任せていたそうです)。
以前、多くの私立大学が、投資の失敗で多額の損失を出したことがあったので、基金の担当者は、プロの投資会社に任そうとしたのでしょう。
しかし、OBは投資には素人で、しかも、プロの投資会社も、ほとんどが赤字だったのですから、「貧すれば鈍する」とは、まさにこのことです。
他の投資会社も調査をするそうですが、被害は、今の何十倍となるかもしれません(昔、育児サービスや介護サービスの共済を作りたくて、旧通産省や旧大蔵省の許可を得ようとしましたが、オレンジ共済事件は論外としても、「冠婚葬祭互助会」でも、蓋を開けたら、ボッと燃えるようなことになっていて、もう新規は認めていないとのことでした)。
とにかく、「おまえに任す」と言っても、あるいは言われても、信頼関係がないと、「メロス」のようにはいきません。ましてや、「自分の金儲けを任す」となると、どうなるでしょうか。
コンビニやファストフードのフランチャイズも、「金儲けを任す」という自分の思惑と、本部の「商売を売る」という思惑がぶつかるので、契約には熟慮が必要です(私が活動しているベッドタウンでも、この1ヶ月で2,3のコンビニが廃業しました)。
私が、事業を頓挫させたのも、人に任せっきりだったこともあると思います。
もちろん、仕切るのは大好きですから、すべてのことは自分が決定をしていたのですが、体外的なことは、多汗症を理由に、部下に任せていたのです。
任すほうにも、それなりの覚悟がいるのに、成果を得られない部下には、不満を漏らしていたのが敗因だったかもしれません。
それは人生でも同じことです。おとしよりと話すのが仕事ですが、「自分ほど不幸な人間はいない」という「決まり文句」をよく聞きます。
それを言うのは女性がほとんどですが、昔の常として、女性には決定権がなかったためだと思われます。
不幸が悔しいのではなく、任せざるをえなかったのが悔しいということでしょう(もっとも、「自分ほど不幸な人間はいない」の中に、人に不幸にされたというニュアンスを込める人もいますが)。
復活をめざす人は、「任す」ということの意味をもう一度考えることです。何でも自分一人ではできないのですから。