新しき村

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復活ノート

「新しき村」
大都市にはどこも地下街があります。どこでも、同じ全国チェーンのレストラン、コーヒーショップ、薬屋などがありますので、目隠しをして連れてこられたら、どの街にいるかわかりません。そういうことが街そのものにもあります。
また、田舎にもあります。ただし、過疎という状態ですが。
過疎は、集落、村の人口が減っていくことですが、その原因は、デフレ現象と同じように、スパイラルしています。
仕事がないから、若者は出る。そこに、高速道路ができると、大きな町に買いものに行く。すると、地元の経済が廃れる。さらに若者は出るというスパイラルです。
政府は、「デフレ脱却」に懸命ですが、過疎は手つかずのようです。
先日、テレビを見ていましたら、徳島県三好市の奥深い祖谷(いや)地区には、「案山子(かかし)の里」というのがあるそうです(昔、近くの大歩危、小歩危に行ったことがありますが、平家の落人も安心できるような秘境でした)。
案山子は、田んぼに突っ立っているのではなく、それぞれが仕事をしているのです。
野良仕事や屋根の修理をしている案山子、それを見ている案山子、さらに、バス停でバスを待っている案山子もいるのです(バスは走っていませんが、案山子のために作ったそうです)。
もう100体以上あるそうで、最近では、「案山子基本台帳」まであるようです。
それを最初に作った女性の話では、「最初は鳥や獣をおどすという本来の役目でしたが、そのうち、亡くなった人が今も元気だと思うために」というのが動機だそうです。だから、顔も似せて、生前着ていた服なども使うというのです。
それもすばらしいと思いますが(ぜひ一度行きたいものです)、過疎そのものは変わりません。
こんなことになったのは、90%以上は、政治などが原因でしょうが、10%近くは集落にもあると思います。
事業をしているとき、母親の実家の近くの集落に景色がすばらしい土地がありました(段々畑で有名でした)。
それを買いたくて、叔父から、集落に頼みました。何回も集会が行われたようですが、許可が下りませんでした。
「過激派が逃げこんでくると困るから」というような理由でした(赤軍派のころでした)。
とにかく、他人を入れたくないというのが本音だったように思います。
私が、田舎にいるときでも、外部から来て私の集落に住むような人は皆無だったように思います。
何十年も立って、ときどき田舎に帰るようになると、親が、「どこそこの集落の誰それがここに住むようになった」とか言っていましたので、少しは変わったのでしょうが、まだ小学生が、新入生を見るような雰囲気は残っていたということです。
親の世代も、ほとんどがこの世から出ていくようになったので、かなり変わったのではないでしょうか。
私も、年に1,2回に帰りますが、私の家同様の空き家は順調(?)に増えていると聞きます。
築100年の家が新しい主人をお待ちしています。みんなで住んで、集落に息吹を与えましょう。
人間は一人では生活できません。だから、みんなで助けあって、生活の場をよりよくするのです。
昔なら、こうしようなどと提案しても、「村の長老」が、「そんなことは聞いたことがない」と認めませんでしたが、今はそんなことはありません。
古き村を、新しき村に変え、そして、新しい人生を送る。これをビジネスにしませんか。