青空

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復活ノート

「青空」
先日、テレビで98才の新藤兼人監督が、最後の仕事として、「一枚のハガキ」という映画を監督するドキュメントを観ました。
兵隊検査で丙種になった本人の戦争体験に基づくものです。
丙種は本来兵隊にならなくてもいいのですが、敗戦が色濃くなり、全員の徴兵がはじまりました。
内地や戦地での雑用係りですが、どこに行くかは上官のくじびきで決まるのです。
100人いた同期のうち94人は戦地に行く途中、アメリカの潜水艦に攻撃されて戦死します(本人は、助かった6人うちの1人です)。
戦死した1人から、妻から来たハガキを見せられたことがあります(30代の妻帯者が多かったようです)。
「今お祭りですが、あなたがいらっしゃらないので、何の風情もありません」
実際は、そのハガキは戦友と共に海に沈んだのですが、見せられた者(新藤)が、そのハガキをもって、出した戦友の妻に会いにいくという設定です。
公開は来年の秋とのことですが、新藤は、戦争というものは、上の者は、ここに何万人、ここに何千人とゲームをするだけでいいが、下の者は、自分だけでなく、その人の家庭も壊すものであると述べています。
無事に帰ってきた者も、体も心の修理をしなければ生きていけませんでした(まじめに生きる気力を失って、町の不良になった予科練上がりもいたそうです)。
しかし、開放された日の青空は忘れられないという人も多かったと聞きました。
その真っ青な空を見あげて、「さあ、これからやるぞ」と誓ったのです。
それから65年。戦死した者はいないが、食べすぎに悩む者が多い世の中になりました(それはそれで平和なことです)。
しかも、金が儲け口を探して世界中を動くようになったので、どこかでショート(「不足」あるいは「断線」)すると、世界中がアウトとなる世の中でもあります。
大企業は、人件費を落とすために日本を離れました(中国では、すぐにストライキをして賃上げの要求をするので、最近はインドネシア、バングラデシュなどに工場を移す傾向があるようです。ただし、そこも、韓国企業などが先行しているとのことです)。
日本にいてくれ、援助をするからと言っても、そんなことはできない、商品が売れてこそ日本経済がもつのだからという考えです。
今の若者には、希望につながる青空はないのでしょうか。
私の知っている若者のほとんどは、「大学は出たけれど」、バイトの口しか見つかりません(「あほの大学だから」とよく言います。確かに何かに取りくむ姿勢は少ないようですが)。
社会は、政治と宗教が大事だと思います。二本がしっかりしていて、立つことができます(それを支えるものが教育です)。
しかし、どちらも今の世の中に合っていないのです。だから、支持政党なし、無宗教が多いのです。
政治はここでは触れませんが、宗教も、ムーズで言ったように、天才的狂人あるいは狂人的天才の出現を見なければなりません。
それなら、教育のビジネスを考えたらどうですか。
学校は塾の補完機関に成りさがっています。しかし、私の考えでは塾は教育機関ではありません(塾の送迎バスは護送車としか思えません)。
といって、ヤマハピアノ教室でも戸塚ヨットスクールでもありません。
どんなの世の中にでも青空を見せてくれる教室です。どうぞ考えてください。