ストレス

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「ストレス」
連休は、文章の稼ぎどきやからどっこも行かれへん。
テレビで、中国道の宝塚東トンネルや、中央道の小仏トンネルは、どのくらい混んでいるのか知るだけや(小仏トンネルは、よう名前を聞くから、いっぺん行ってみたいけど)。
しかし、子供が小さいときは、渋滞に巻きこまれたことがあるけど、もうごめんゆう感じやな。
今は、夫婦とも運転できるのが普通やけど、30、40年ほど前までは、女が免許持っているとゆうだけで、へえーゆう雰囲気があったから、運転はだいたい主人の仕事やった(「彼女には、免許を取らせへん。ぼくの存在価値がなくなる」ゆう友だちがいた。土方歳三にそっくりの高知県の男やったけど)。
知らない道を運転するのは、確かに緊張する(今はナビがあるから、そうでもないか)。
知らんとこへ行くと、道のまわりの看板を大きな声で読んだりせえへんか。「『新そば入荷、そば松』か」、「『日曜も診察、山田歯科』か」そうすると、嫁はんに、「うるさい、寝られへん」と怒られる。
それから、誰かに道案内してもらっていて、「次の道右に行って」ゆわれて、左に行くこともあるやろ。
そんなふうに運転は緊張する。ストレスは、その緊張が長期間続く。これが病気の引き金になるらしい。
昔、ストレスで体の具合が悪くなるとは情けないと思うていたけど、ストレスの元になる雑用は、全部社員にさせていたからとわかった。
ある医者が、保険の不正請求をしているのがばれて、脳梗塞になって、半身不随になったのを見たことがある。
ぼくも、そうゆうようなことで、あちこち呼び出しを食らったり、テレビに追いかけられたりして、小脳梗塞になった(寝られへんようになるから、体力が落ちるんやろ)。
ぼくの経験を整理すると、やはり性格も影響している。ぼくの父親だけでなく、叔母も他人の悪口をようゆう。これも分析をすると、「自分をちゃんと認めへん」から来ている。何かゆわれると、全人格を否定されたように思う、子供っぽい性格なんやろ。
連休の間、気分がすこぶるよかった。結論をゆうと、運転せえへんからやと気がついた。
免許更新のとき心理テストを受けるやろ。「他人に喜んで道を譲る」とやさしい人物像を作るけど、担当者から、「ご主人、ええ年されているけど、この中で一番事故を起こしやすい性格でんなあ」ゆわれる(なんでわかるんやろ)。
ぼくの場合は、相手が挨拶をすれば、相手が右折、左折するまで待っている。せやけど、相手が指示器を出さない、当たり前のように曲がるとムカッときて追いかける癖がある(「止まるとき、礼をするときはハザード」、「シートベルトをしないの個人の問題で罰金はおかしい」、「踏み切りで止まる必要はない。それなら青信号でも、止まって左右の確認をせんとあかんはずや」とゆう持論はまたの機会に)。
プライドに対する妙な反応は、運転にも出ているのやろ。
それは、自分でもわかっていたようで、昔は暴走族も敬遠するような車に乗っていたけど、今はそうそうゆうわけにいかんから、我慢をすれば、ストレスがたまるとゆうわけや。
「車に乗ると性格が変わる」のではなく、「性格が出る」ゆうほうが正しい。
どっちにしろ、ストレスは入れたくない。こんな方法はどうや。
50キロ痩せた岡田斗司夫の方法が話題になっているやろ。あれを使うんや。
今日一日腹が立ったことをメモにする。そうすると、なんと自分がつまらんことで怒る人間かわかるはずや。
昔、恨みのある人間をリストにして、襲撃してから自殺した男がいけど、そんなふうに使うたらあかんで。
ストレスを入れないようにするためには、やっぱり自分の態度を変えることやろな。
他人のええとこだけを見る。ついでに自分のええとこを探す。そして、これからあるであろうええことを考える。
これができたら、ほんまに楽やろと思うわ。でも、でけんでもイライラしたらあかんで。ストレスがたまる。

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