同い年

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「同い年」
みんな、自分の同い年の人間ゆうのは、意識するのか。
同じ学校の同級生や同クラスだけでなく、世間の同じ年齢の人間に対してもや。
ぼくは、昭和24年(1949年)生まれやけど、テレビを見ていて、ビリー・ジョエルやスティヴィー・ワンダーが出てくると、「あれ、ぼくの連れや」ゆうと、「そんなことゆうのんおらんわ」と笑われる。
世間には、有名人を知ってるといいふらすのがいるけど、ぼくは、あんなんじゃなくて、同じ年の生まれやとゆうてるだけやけどな。
それがおかしいのやったら、もっとおかしいのんをゆうたろ。
これは、ちょっと異常ちがうかと、自分でも、前から思とったことや。こんなやつはおらんのか、おらんかったら、なんでぼくがだけがと知りたいだけや。
ぼくが、昭和24年生まれなのは、さっきゆうた。そして、「23年生まれの人間には逆らわれへん。25年生まれは、ぼくらのゆうことを聞かんとあかん」ゆう「年齢のヒエラルキー(階級制度)」から離れられへん。しかも、22年生まれ以前や、26年生まれ以後は、どうでもええ。
せやから、としよりが、ヨットで世界一周しても、若いもんが、1000億円で、阪神タイガースを買うても、「別に」てなもんや。せやけど、24年生まれが(そして、23年、25年が)、何かしたら、ものすごう気になるねん。これは、団塊の世代で、田舎で大きくなったからやろか。
ぼくの生まれた地区は、60軒ほど家があった。それなのに、24年生まれが、男7人、女7人いた。23年、25年をあわせると、50人近くいた(そんな地区が、15、6個で、村になり、5,6個の村で、町になった)。せやから、地区、町(村)、学校は子供だらけやった。放課後、遊ぶのも地区の中だけやった。一級上(23年生まれ)のゆうこと聞かんとあかん。25年には、命令する。50半ばになっても、子供の世界から抜け出てへん。我ながら恥ずかしい。
10年ほど前、小学、中学の卒業アルバムを見てて、「この子は、かわいかったな」、「こいつは、早う死んでもたな」と、昔を思い出していたら、胸が苦しくなって、寝られへんようになったことがある。それは、同級生のことより、自分のことを考えたからやろか。
「あいつ(自分)は、ちゃんとやっとるんか」と。
人生は、生きてきた日数の長さとちがうことはわかっているけど、「連れ」が気になって、しゃあない。ところで、和泉雅子は、どうしたんや。この世にあんなきれいな人は見たことがないと思とったけど、冒険好きゆうても、自分も北極熊にならんでも。MG5の村田秀雄=団次郎(時朗)も、若いときは、キムタク以上の人気があったけど、今は、食卓みたいな体になってる。時の流れは、残酷やと思うて、ネットを見ると、和泉雅子は、22年生まれ、団時朗は、24年生まれでも「早行き」やった。たいして変わりがないってか。

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