ニュース(1)

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~

「ニュース」(1)
「犬が人を噛んでも、ニュースにならん。人が犬を噛むとニュースになる」と言われるけど、今、ぼくらのまわりには、ニュースがあふれているから、世界には、人が、犬を噛むどころか、犬を食う民族がいることを知っている。いや、鳩も、高級料理やで。セミやアブラムシもフライパンで揚げる。そんなことゆうたら、日本では、イナゴも佃煮にして食う、てな調子や。
確かに、誤解は、無知から起こるわな。どこかの外国へ行って、子供の頭をなでたらあかん(神聖な場所やから)、またイエス(承諾)のときは、頭を、横に振る国もあるとかも、よう知っている。
そして、ぼくらは、毎日、日本どころか、世界で、何が起きたか知っとかんと、落ちつかんようになってもうたらしい。
夜、鍋をつつきながら、どこかの国の自爆テロや津波、地震のニュースを見る。そして、血だらけのけが人や泣き叫ぶ人を見ながら、家族団らんをするわけや。
「やっぱり、無宗教が一番ええわ。正月に、賽銭を出しといたら、八百万(やおよろず)の神が守ってくれる」、「日本は、こんなときに、略奪はせえへん」、「こんな家やビル作ったらあかんわ」と、みんなでワイワイゆう。
「家(うち)は、そんなに贅沢でけんでも幸せや。これから、なにが起きても、わしは、お前らのために、一生懸命がんばったる」と、うまい酒を飲む父親も多いやろ。
家に帰ってきて、テレビをつけても、どこかニュースやってへんかゆうて、すぐチャンネルを回す(変える、か)が、なんで、ぼくらは、ニュース中毒になってもうたんやろ。
「毎日毎日、世界も、日本も、悪いことばっかり起こっている」とか「こんなええ話の後に、こんな事件ゆうなよ」とつっこみながら、ニュースを追いかける。
ところで、犬や花のトピックニュースの後で、アナウンサーが、「どこぞで、こんな悲惨な事件がありました」とニュースをゆうとき、ピッと表情をかえるやろ。アナウンサーも大変や。ぼくやったら、笑ろたまま、殺人事件をゆうてまうような気がする。
それにしても、ニュースを知らんと、なんで、一日が、ものたらんようになってしもたんやろか。
会社や学校での話題についていくためか、自分が世の中に遅れないためか、それとも、単なる気晴らしか。
ぼくらの子供のときは、「女は、新聞を読むな」ゆうような雰囲気が、まだ残っていた。
「おまえらに、世の中がわかるかい」とか、「世間のことを知らんでもええ」とゆうような。ラジオがあっても、娯楽の宝箱やったから、ニュースは少なかった。
三波春夫がそうやったらしいが、父親が、家族に新聞を読んでやって、社会や世界について解説する。それが、徐々に変わってきた。また、次回に書くわ。

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