久米の仙人(1)

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「久米の仙人」(1)
最近は、「久米の仙人」の話は、学校で教えへんのやろか。知っている人も少なくなったようや。
「知ってる、知ってる」ゆう人でも、こんなふうに答えるやろ。
「ああ、あのHな仙人か。空を飛んでいるとき、着物をたくしあげて、川で洗濯していている若い娘の太ももが見えたので、生唾(なまつば)ごっくんとなって、空から落ちたやつやろ」正確には、「太もも」とちがうて「ふくらはぎ」や。かわいいもんや。
今やったら、ミナミや渋谷どころか、あちこちのプールや海水浴場の上は飛べんな(ほんまの「欲情」や)。
今は、チラッと見えるどころか、いかに見せるかという時代や。
幸田来未とゆう歌手がいるやろ。若い女の子に人気があるらしいな。歌のことはおいといて、顔は、繁華街になんぼでもいそうやけど、彼女の太ももが下品やゆう女性が多い。
確かに、森高千里のように、おじょうさんの足やないな。くねくねまきついてくるような太ももをしている。
せやけど、「モーニング娘。」に落ちても、執念で芸能界をめざしたゆうやないか。
そして、「太もも」を生かして(ほんまかいな)、「エロかわいい」とゆうジャンルを見つけて、のしあがってきた。山本リンダゆうのもいたけど、あれは、若いときから、色気はなかったな。
これについては、このへんにしとくわ。「エロいやらしい」おっさんとゆわれるからな。
ところで、久米ゆう男は、空が飛べるまで、ものすごい修行をしたと「今昔物語」に書いてある(久米宏は、どこへ飛んでいったんやろ)。
滝に打たれたり、山を駆けめぐったりして、ようやく雲を呼び、風を起こすことができた。つまり、「空を飛ぶ」とゆうことは、気象現象をあやつる能力を身につけることやな。
ぼくも、中学のとき、当時流行っとったトランジスターラジオを買うてもらって、春の裏山に登ったことがあった。ほんまにええ天気で、野良仕事をしている大人が、春霞の中で、小指ぐらいに見えていた。ラジオからは、ポール・アンカやニール・セダカなどの、今でゆうアメリカポップスが流れていたし、ウグイスも、負けずに啼いていた。トンビかって、すぐそこで、ピーヒョロ、ピーヒョロと、のんびり輪を描いていた。
ぼくは、寝転がっていたが、急に体が、ふわふわしてきて、こりゃ、空を飛べるかもわからんとゆう気がしてきた。
ハングライダーをするとき、山道を、タッ、タッ、タッと走って、ふわっと浮きあがるやろ、ぼくも、あのようにして、山道を駆けおりた。もっとも、背中には、何にも背負うてへんから、飛びあがっても、浮きあがらず、そのまま、ゴロ、ゴロと転がり、茂みにぶつかって、死にそうになった。
あの「ひょっとして」とゆう気持ち忘れず、修業を積むと飛べたかもわからん(ほんまかいな)。
「還暦近くになっているんやから、もう少し地に足つけて」とゆわれるから、少し飛べるようになっとるんやろか?
次回のムーズは、「人生にとって大事なことを含まれています」ので、これに懲りずに。

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