ご主人様(2)

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「ご主人様」(2)
秋葉原にある「ご主人様、お帰りなさいませ」と迎えてくれるメイド喫茶に行ったことないけど、テレビなどで見る限り、「オタク」とゆわれる若いもんは、カメラの前では、照れているようでも、みんなほっとした表情をしている。そして、好みのメイドと話したり、写真を取ったりしたあと、「夕方、もう一度来ます」ゆうて帰る。
確かにうまいこと考えたなあ。「水と空気はただ」とゆうのは、大昔の話やけど、その後、有料になり、さらに、気持ちのええ「空気」しか吸えんもんは、どんなに高くても買うのやから。
最近は、メイドが、つんつんするところもあるらしい。こうゆうことは、中学や高校であったことやな。男女とも、わざと好きな子にしゃべらへんかったり、「いけず」ゆうたり、甘酸っぱい思い出があるやろ。せやから、「オタク」は、普通の社会人になりそこねた人間と思われていけど、遅れて、おんなじことをしているだけや。
監禁事件でも、「ご主人様」とゆわせている。根っこは、いっしょなんやろな。
おっさんご用達の「ノーパンしゃぶしゃぶ」では、店の空気はどうでもええ。手っ取りばやく、二つの欲が満たされる。外務省や大蔵省の接待に使われたのは、その合理性からやろな。
最近では、韓国や中国などのアジアだけでなく、アメリカやヨーロッパでも、メイド喫茶がはやりだしたらしい。
せやけど、「ご主人様」と「メイド」の関係でしか生きられないのは、やっぱりどこかおかしい。
つまり、つまり、普通の人間関係が結ばれへん「関係障害」が、世界中広がっているんやろか。その原因は、物事を、何でも「オール オア ナッシング」でしか考えられへん性格や生活から来ていると思う。
「それが手に入やへんのやったら、ほかのもんはいらん」、「ぼくのゆうこと聞かれへんのやったら、絶交や」。そして、何かゆわれたら、全否定されたように思う。
つまり、0か1か。つまりデジタルや。せやから、パソコンが好きなのどうかしらんが。
子供のときやったら、「買うてくれへんのやったら、水たまりで寝たる」ゆうたら、買うてもらえたけど、大人になると、そうはいかん。
何でこうなったか。子供のとき、甘やかされたからか、叱られっぱなしやったからか。
とにかく、0と1の間に、狭いけど、進む道があるのがわからへんから、大人になっていないのや。
何で、こんなことをゆうか。ぼくも、生まれつき「デジタル人間」であることがようやくわかったんや。どこかの店で、気にくわんことがあると、「ここへはもうこん」と決める。せやから、行く店がなくなってもうた。自分で、世間を狭うしてきたな。
デジタルの反対は、アナログかどうかしらんけど(単に、伝達の方法がちがうだけやろ)、この世は、0か1かゆうデジタルではないのだけは確かや。まあ、ゆうたら、でこぼこだらけの「穴ログ」やな。
ぼくも、これをわかっとかんと、老人施設に行っても、「お前の顔は、二度と見とうない」の連発で、野垂れ死にしてしまう。
みんなメイドのように、にこにこしてくれるわけがない。「人でなしの国」も冥土もな。

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