崩壊(2)

   

今日も、ムーズが降りて来た~きみと漫才を~

「崩壊」(2)
前回は、問題になっている「いじめ」はどこでもあるゆうた。
いじめられる子供は、「きもい」、「うざい」、「死ね」ゆう言葉で追いつめられる。
そこで、言葉ゆうもんは、ハサミみたいやともゆうた。刃先を向けると、傷つくのや。
ほんまのハサミを、誰かに渡すときは、相手が取りやすいようにする。子供でも、一度注意されたら、相手に刃先を向けへん。それでも、言葉の刃を向けるのはわかってしているのや。
せやけど、相手の心がこんがらがっていたり、ほつれていたりすると、そこを切ってやる。すると、新しい気持ちが生まれてくる。
三島由紀夫は、「言葉には言霊(ことだま)がある」ゆうて、全共闘と議論をして、東大の安田講堂を出た。言霊ゆうのは、言葉の中にある、相手を幸せにする力や。この場合は、捨てぜりふやろな。
この前、電車に乗っていたら、ぴしっとした若いサラリーマンがメールをしていた。
ぼくは、起業コンサルタントもしているので、最近のサラリーマンの動向を知るために、職業的見地から、ちょっと覗きこんだ。サラリーマンは、「もうすぐかえりまちゅ♡」と送っていた。多分、早う帰って、子供と(奥さんともか)、風呂に入りたいんやろか。ここにも、言霊があるんやろな(少子化の昨今、ええことやけど)。
刃物ゆうたら、やくざや。やくざは、言葉をよう研究している(ほんまに「かたぎ」をけがさせたら、自分がそんやからな)。
昔、ぼくは、チンピラの家に集金に行くこともあった(別に高利貸しをしていたわけやないで)。行きたくはなかったけど、「ほしかったらこんかい」ゆうので仕方がない。
交渉している間に、子分が、「アニキ、電話でっせ」と来る。聞くともなしに聞いていると、「おう、そいつを捕まえておけ。生きて帰すなよ」とかゆうている。壁には、都市銀行の融資係の電話番号がびっしり書いてある(バブルのときは、都市銀行でも、やくざを使うとったからな)。ようするに、恐がらせて、集金をあきらめさせる芝居やな。とにかくどこかへ連れこまれんようにな(連れこんでも、監禁罪にならんように、ドアをも少し開けとくはずや)。
困っている人は、ぼくに連絡してくれたらええ。いっしょにあやまったる(あかんがな)。
「ばかとハサミは使いよう」とゆうやろ。つまり、ハサミは言葉や。学校では、日本語の言葉の使い方を教えるのが先決や。小学校から英語、英語ゆうてる場合とちがう。
とにかく、学校ゆう組織は、「いじめ」ぐらいで、ぐらぐらするのはおかしい。いじめられている子供を守るのは学校であり、教師やろけど、腰が引けている。
学校ゆうのは、もともと窮屈なところやし、そこへ、変な親が多いことが重なっているのやろ(親の親である、ぼくら団塊世代にも責任がある。「個性」ゆうもんがようわからんかったんや)。
それで、教師の間では、「飲むウツ買う」が広がっているゆうやないか。
酒を「飲む」ことで、ストレスを発散する、せやけど、「ウツ」病になる、後は、宝くじを「買う」て、1億円でも当たったら、教師なんかすぐにやめたる、とゆうことらしい。
会社なんか崩壊しても、すぐに新手が出てくる。せやけど、学校や学級はなあ。
文明崩壊は、原爆が破裂するかどうかやし、国家(日本は、単一国家やから「社会」も)崩壊はしばらく大丈夫やろと思うていても、学校や学級の崩壊が進んだら、根元が腐っていく。ところで、家庭崩壊は?

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