崩壊(1)

   

今日も、ムーズが降りて来た~きみと漫才を~

「崩壊」(1)
「いじめ」がえらい問題になっている。
いじめられている子供にとっては、一人砂を噛むような生活は辛いやろな。「今、きつい風が吹いているけど、いつかは止む。しばらくは、こうして身をかがめておこう」などと考えることでけん。いつまでもこんな状態が続くと思うてしまうから、最悪の結果になる。それを誰かに聞くことも、教えるもんもない状況におかれているんやろな。
ところで、「いじめ」ゆうもんは、人が集まるところには、どこでもある。いや、「いじめ」がないと、人は、生きていかれへんようや。
軍隊なんか、「いじめ」のためにあるようなもんや(野間宏の「真空地帯」とゆう小説にくわしい)。
内部告発をした運送会社のある社員は、20年以上シカトされて、最近定年を迎えた。最後の日は、同僚や若い社員が、ひそかに拍手を送ったらしい(こんな話を聞くと泣けてくる)。
鈴木史朗ゆうフリーアナウンサーがいるやろ。もう70才ぐらいで、端正な顔をしているけど、小学生のとき、腸捻転かなにかの手術をしたときは戦時中で、麻酔薬がなかったから、「チョー痛かった」ゆうようなギャグを飛ばしている。
TBSの新人アナウンサーとしてデビューしたけど、鈴木の顔が、軍隊時代に自分をいじめた上官に顔が似ているからとゆう理由で、上司に疎(うと)んじられて、制作部などに回された話は有名や。
せやけど、20年間耐えて、50才近くになって、アナウンサーに戻ることができた。そして、今は、売れっ子のタレントや。
「いじめ」が「いじめ」を作るとゆうことやな。鈴木は、そんなことはでけんようやけど(ある人だけには、「人が変わる」ゆう人もいるけどな)。
引越ししてきても、近所の仲間に入れてもらうのには時間がかかることもある。
ぼくも、介護食の店をしているけど、店を出したときは、「野菜がしなびていた。わたしやからええけど、他の人やったら、大事(おおごと)になるとこやで」とゆうおばちゃんがいた。アユでも、サルでも、人間でも、縄張りに入る儀式はいっしょやな(しくじると、「いじめ」に会う)。
タレントの水野真紀がおもろいことをゆうている(なんで水野姓のタレントはややこしいねんやろ。水野美紀とかいっぱいおる。ぼくは、水野久美が好きやけど)。
とにかく水野真紀は、女子高校生のとき、女番長に、「お前の目は生意気や」といじめられたらしい。確かにカマトトぶっている目やな(国会議員と結婚したときも、「婚期遅れ同士が結婚しました」ゆうて白けられた)。異質なもんは、仲間はずれにされるんや。
ぼくの次男も、長女も、中学校からまともに学校に行かへんかった。次男は、人にとけこめへんかった。長女は、他人にゆわれることが気に食わん性格やった。前回ゆうたけど、二人は、ぼくの性格を持ってしもうた(ぼくも、まちがいなく父親からもらった)。
4,5年前、次男といるとき、突然、「ぼく、土下座させられても平気や」ゆうたことがある(そのときは、何アホなことゆうているんやと思うていたけど、今考えると、苦しいのをわかってやれなかったんやな)。長女も、よう警察にもらいさげにいった(次男は、今は休みも取らんと電話回線の営業をしている。長女も、食品会社の企画開発で走りまわっている。特に長女は仕事で息詰まったらメールをしてくるし、新しい彼に会うくれゆうて、この前酒を飲んだ)。
社会性を身につけるのは、人によって差がある。そこに「いじめ」の芽あると思う。
誰かにはさみを渡すとき、多分100%のもんが、ちゃんと刃先を自分のほうに向けて、相手に渡すと思うねん。小さな子供が、危ない渡し方をしても、いっぺん注意したら、次は、そんなことはせえへん。言葉や行為も、刃先があることを教えてへん。教えても、まだ刃先を向けるのは、わかっててしているのやろ。ここから考えんと。

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