誰でもよかった(1)

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「誰でもよかった」(1)
昔、焼き肉屋で食事をしていたとき、隣のテーブルにいた3,40代の夫婦がケンカをはじめたことがあった。やがて、主人が手を出すようになって、嫁はんが逃げた。主人が追いかけて、大声でゆうた。「泣かしたろか!」
あっけにとられていたぼくらは、口から肉が飛びだしそうになった。
「おまえは子供か」と突っこみそうになったけど、自分の喜怒哀楽の原型は、子供のときにできるので、感情が高まると、子供っぽくなるのかもしれんな。
そうそう、子供のケンカは、「おまえのこと、み~んなアホやゆうているわ」からはじまる。
ゆわれた相手は泣きだしてしまうか、「みんなゆうたら、誰と誰やゆうてみ」と反撃をする。そして、「みんなはみんなや」、「へぇー、誰や名前もゆわれへんのか」、「日本中の人間全部や」と進むのがオーソドックスな流れや。
あとは、「何曜日の何時何分にしたかゆうてみ」とか「他人が死ねゆうたら、死ぬんやな」とゆう決まり文句もある。
「子供のケンカに親が出る」とゆうけど、「あいつを別のクラスに行かせろ」とか「毎朝電話で子供起こせ」とかゆう「モンスター親」は、まだ大人になってへん。「子供のケンカに子供が出る」や。
ああゆう連中は、自分の要求はするけど、「そんなことはできない」と突っぱられると、「意味がさっぱりわからん」で通す。相手が根負けするまで、それ一本やりや。
「飴買うてくれんかったら、水たまりで寝たる」ゆう、春団治の落語に出てくるガキがそっくりや(落語のガキは、お伽話をする親に「つっこみ」をいれたりする、憎めんガキや。「モンスター親」の親は、ぼくらの年代やから、ぼくらに責任がある。とにかく、頭を染めている小学生は学校へ来さすな)。
もっとも、フツーの大人でも、「みんなゆうているで」を使う。これは、相手を孤立させるために、自分には世間がついていると強調したいのやろ(ぼくは天邪鬼やら、「みんな」とゆわれたら、「おれは、一人注目されているんやな。それなら許したる」と思うようにしているけど)
ところで、相手が誰やわかっていれば、勝つためにどうするか考えやすいけど、相手が見えんかったら厄介やで。
やがて相手が、勝手に大きくなって、襲ってくるように思えるようになる。「幽霊見たり枯れ尾花」や。恐怖心がどんどん膨れあがる。
お盆の映画もそれや。笛と太鼓の、あの気色の悪い音楽が鳴ってくると、キァーと来る(ダイラケさんが、「青火がバァ、ボヤがボォ」とゆうと恐くなかったけど)。
民谷伊右衛門のように、狂ったように暗闇を切りまくるようになってくることもある。
最近の幽霊と伊右衛門を次回に。

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