シーラじいさん見聞録

   

「今、多くの国が資源を探しに北極圏に来ている、だから、ニンゲンが見つけるかもしれないよ」ダニエルがイリアスをなだめるように言った。
「でも、そんな片手間ではだめだよ。ミラはかなりけがをしているそうじゃないか。急がなくては死んでしまうよ」みんなうなずいた。
「わかった。友だちに聞いてみるよ。もし見つかったらスクープになるし、世界中の子供たちも喜ぶ」
ダニエルはすぐに友人の記者に電話をした。友人は興味を持ったようだが、社内での承認が必要なので翌日に連絡をするということになった。
みんな心待ちにしていたが、幹部の了解が得られないという返事だった。今は世界が不穏な状態なので、いつ何が起きるかわからないから、余分の予算も人も出せないという返事だった。
しかし、来月には、北極圏での資源開発の取材があるかもしれないので、そのときには自分もスタッフにしてもらえるように頼むとのことだった。
「来月まで2週間か。とりあえずシーラじいさんにはそのように伝えておこう」アントニスはすぐに手紙を書いた。

オリオンは外側の壁がガラス張りのプールに移された。外の光が眩しい。
しかし、目が慣れてくると、4,5本の木がある狭い中庭があるだけで、それ以上の風景は見えなかった。
それでも、久しぶりの明るさが気持ちよかった。しかも、ガラスの壁に体を寄せれば、少し青空が見えることに気づいた。
この水は海に繋がっていないけど、あの空は世界につながっている。その下の海や陸にはぼくを待っているみんながいると思うと、体に力がみなぎってきた。
オリオンは感傷的な気分を封じ、ゆっくり泳ぎはじめた。まだ体が重い。長さは30メートルぐらいで、深さは10メートルぐらいか。早く慣れるために休むことなく泳いだ。
マイクとジョンは邪魔をしないようにずっと見ていたが、オリオンがようやく止まったので、「体はどうか」と聞いた。
「まだ自由に動きません。スピードも出ないし」オリオンは泣きそうな声で言った。
「仕方がないよ。狭い場所に閉じこめられていたのだから。でも、そんなに心配することがない動きをしているように見える」マイクが笑顔で言った。
「まだ時間があるから、そうあせるなよ」ジョンも励ました。
毎日トレーニングしたので、動きもスムーズになってきた。オリオンも自信がついたのか笑顔があふれてきた。
数日後、ベンが戻ってきた、「オリオン、トレーニングはどうだ?」
「少しずつ回復してきたような気がします」
「どのくらいで海に行くのか」マイクがベンに聞いた。
「多分2,3か月後だろう。オリオンのことは同盟国には内緒だから、ちょっと時間がかかるんだ。ぼくも、なるべく早くやりたいんだが」
「わかった。でも、オリオンは長い間海にいなかったので、すぐに深く潜ることはできないよ」
「どうしたらいいのか?」
「イルカが潜れるのは、せいぜい2,300メートルだ。しかし、人間が閉じ込められているのは2000メートルの海底なんだよ。普通のイルカなら絶対潜れない深さだ。
オリオンがそこまで潜ることができるようになったのは、3000メートルぐらい潜れる仲間のクジラに教えてもらったからだ」
「じゃ、海でのトレーニングをしなければならないということか」
「そうだ。絶対必要だ。ぶっつけ本番では命に関わる」
「ベン、海ではオリオンをどう扱うのか」ジョンも聞いた。
「ぼくはオリオンをくくったりしないつもりだ。オリオンには自由に動いてもらう。それを潜水艦が後を追う。それなら、クラーケンが来てもすぐに対応できるだろう」
「ぼくらもそれでいいと思う」
「すぐに海でのトレーニングをしなければならないなあ。それをすっかり忘れていた」ベンは思いつめたような顔をして出ていった。
「マイク、ジョン、海でトレーニングできるようにしてくれてありがとう。ぼくもそう思ったけど、ちょっと言いにくかったんだ」
「海とプールじゃ何もかもちがうからな」
「普通の生き物なら自分に合った水圧以上に耐えられないものなんだ。そんなに深く潜らなくても食べものが見つかるからだろう」
「そう思う。ぼくも、ずっと海にいるときでも、体調が悪いときはそんなに深く潜れなかった。しかし、ベンはぼくを信頼してくれるだろうか?」
「大丈夫だ。ベンはきみのことを尊敬している。自分の希望を遠慮なく話したらいい。それのほうがベンも喜ぶよ」
1人になったとき、何気なく外を見ると、細い木に小鳥が3,4羽いるのがわかった。
これは、換気孔からぼくの様子を見てくれている小鳥だ。ぼくがここにいるのがわかったんだな。これで、アントニスやシーラじいさんも、そろそろぼくに動きがあるとわかってくれるだろう。
早く潜れるようにならなければならない。しかし、ぼくに何かあればどうなるのだろうか。オリオンは、一瞬そう思った。
もしそんなことになれば、ここの3人はどんなに悲しむだろうか。それ以上に、救助を今か今かと待っている海底にいるニンゲンは永遠に戻れないことになる。
リゲルたちがぼくの代りができるか、いや、できるとしても時間がかかる。
マイクとジョンが来たとき、オリオンは、「二人にお願いしたいことがあります」と言った。

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