シーラじいさん見聞録

   

アレクシオスは、あわてて振り返った。すぐ近くに何かいる!
「マグロか!」アレクシオスが叫んだ。「そうだよ。ペルセウスというのだ。比較的体が小さいので、いつも先回りをして様子を見るんだ。今も、ぼくらを見つけて、シーラじいさんたちに教えたはずだ。ペルセウス、そうだな?」アントニスは大きな声で聞いた。ペルセウスは真っ黒な体を持ちあげて、海面を叩いた。
「ぼくが気を失ったときも、オリオンと一緒に助けてくれたんだ」イリアスも、うれしそうに言った。
「ほら、遠くに大きなものがいるだろう?リゲルたちだ。シーラじいさんとともに、世界の海を回っている。
もっと遠くに大きなものがいるのが見えるかい?ミラだ。みんなどんな敵にも向かっていく勇気を持っている。
ほら、ぼくらの上を飛んでいるカモメも仲間だよ。何か危険なことはないか見張っていてくれているんだ。そうそう、ぼくとシーラじいさんがやりとりする手紙も運んでくれるんだ」
確かに、カモメが数羽すぐ上を飛んでいる。すると、1羽がボートに止まった。イリアスが頭をなでた。
アレクシオスは、オリオンの仲間についてある程度聞いていたが、予想以上だった。
「リゲルたちにこっちへ来るように言ってくれないか」アントニスは、カモメに言った。
カモメは、うなずくと飛びたった。
それを見ながら、「みんな、きみが言うことをわかっているようだな」アレクシオスは、ようやく言葉を出すことができた。
「ぼくも不思議なんだよ。相手に伝えたいことを言うだけなんだけど」
アントニスは、シーラじいさんやオリオンが英語を話すとは言わなかった。まだシーラじいさんの許可がないからだ。
「言葉の意味というより雰囲気を感じるからもしれないな」
「そうかもしれない」アレクシオスは、この不思議な光景を何とか納得しようとしていた。
やがて、リゲルを先頭にゆっくり近づいた。「みんな、いつもありがとう。こちらは、手紙に書いていたアレクシオスだ。ぼくらのためにがんばってくれている」アントニスは、両手を口に当てて叫んだ。リゲルたちは、海面を叩いて挨拶をした。
「はじめまして。アレクシオスです」アレクシオスは、初めての人間に会うときのように挨拶をした。
「シーラじいさんはもう来るかい?」アントニスが聞くと、リゲルはうなずいた。
そのとき、ボートの横の海が動いた。「シーラじいさん!」アントニスが叫んだ。
シーラじいさんの体が出てきた。「アントニス、ごくろうじゃったな」という声が聞こえた。
アレクシオスは腰を抜かさんばかりに驚いた。少し聞いていたが、これがシーラじいさんか。これが生きた化石と言われているシーラカンスか。そして、英語を話している。
「シーラじいさんだよ」
「ア、アレクシオスです」アレクシオスはあわてて挨拶をした。
シーラじいさんは、じっとアレクシオスを見ながら、「アントニスがたいへんお世話になっているそうで」と言った。
「いや」
「彼がいないと本なんか絶対無理でした」アントニスが言った。
「いや、二人の気持ちが真剣だったので、何とかしなくてはと思っただけです」
「アントニス、これから忙しくなりそうじゃ。これからはベラに手紙を書いてくれ」
「ベラに?」
今まで黙っていたベラが、少し前に出て、「こんにちは。わたしがシーラじいさんに話をします」と言った。
「ベラ、英語がわかるのか」
「まだまだです。シーラじいさんに教えていただきながら勉強しているところです」
「それなら、持ってきた童話を読めるだろう」
「ありがとうございます。シーラじいさんに聞きながら読みます」
アントニスは、童話の本を渡した。すぐにペルセウスが受けとった。
「童話が売れるといいがな。そうすると、オリオンを早く助けることができる」
「それじゃ、アレクシオスに助けてもらっていいですか」アントニスが聞いた。
「もちろんじゃ。よろしく頼みます」
「できるだけ協力します」
「イリアスも頼んだぞ」
「はい」イリアスは大きな声で答えた。
シーラじいさんは姿を消した。リゲルたちも挨拶をして沖に向かった。
「何だか夢を見ているようだよ」アレクシオスは、呆然としていた。
「ぼくもそうだった。しかし、これは夢じゃないんだ。見えなかった世界が見えるようになっただけだと思うようにしたんです。
すると、絵描きになることをあきらめかけていた自分がとても恥ずかしくなったんですよ。
世界は、つまりニンゲンの世界は、とても狭く感じられてきて、今まで知らなかった世界なら、新しい自分を見つけられるような気がしてきたんです。それで、もう一度がんばってみようと」
「ぼくはまだ信じられないところもあるけど、きっとそうだと思う」
「もっとお話ししなければならないことがいっぱいあるんですけど、ゆっくりお話しします。シーラじいさんの許可が出ましたから」
「そうか。シーラじいさんがじっとぼくを見ていたけど、ぼくを観察していたのか」
「わかりましたか」
「あの真っ青な目で見られたら何か隠そうなんて気は起らないよ」
「ぼくも、あの目が、新しい世界を照らしだしてくれるような気がする」
「何もかも信じられないことばかりだからな。シーラカンスという魚は『生ける化石』と言われているそうだが、今まで生きてきたのは、マガダスカル島の深海でじっとしていたからだそうだ。それなのに、どうしてこんなところまで来ているのだろう。その上、英語をしゃべるとはな」
「確かに、あちこち動いたり、海面に上がったりするのは疲れるそうだ。それで、ベラに任そうとしているのだろう」
「ベラも英語を話していたな。まさかオリオンも?」アレクシオスはアントニスを見た。
アントニスは、どぎまぎしながら答えた。
「実は、オリオンも英語を話す」
「そうだったのか!でも、それについては、きみからも聞いていないし、童話にも書かれていない」
「きみもわかってくれていたように、そんなことを言えば、誰も相手にしてくれないのは火を見るより明らかだ。これも、シーラじいさんが忠告してくれたのだが」
「なるほど。イルカが人間の子供を助けるのを目撃しても、どうしてヘリコプターで運ぶ必要があるのかと思っていたのだ。しかし、オリオンが英語を話すのは、誰も知らないのだろう?」
「いや、知っているものがいる」アントニスは、きっぱり言った。
「誰だ?」
「実は、きみの新聞社に手紙を出すとき、切手を買うために行った店で、イリアスがちょっと・・・」
「ちょっと?」
「その店で、ニンゲンの言葉を話すイルカがいると言ってしまったのだ」
「そうだったのか。かなり絞られてきたぞ」
「黙っていて申し訳ない」
「いや、ぼくだって、今見聞きしたことを、友だちに話しても信用してもらえるとは思えないよ」アントニスは黙ってうなずいた。
「店の親父にだけ言ったのか?」
「いや、店には4,5人の客がいたんだ。でも、そいつらのことはおぼえていない」
記者は、うーんとうなった。「それなら、飛行場でヘリコプターのことを調べてみようか」
「実は、オリオンがいる場所もわかっているんだ」
「えっ!」
アントニスはすぐに説明した。「オリオンがヘリコプターで運ばれるときから、カモメが追いかけたんだ。飛行場につくと、すぐにトラックに乗せられた。そして、岬にある海洋研究所に運びこまれたと報告があった」
それから、自分が、その研究所に忍びこんだこと。そして、みんなが助けてくれたことを話した。
アレクシオスは興奮した。「オリオンも、きみに気づいたんだな?」
「まちがいない」
「中はどうだった?」
「ギリシャ人は少なく、アメリカ人やヨーロッパ人のほうが多いように思えた」
「オリオンは、今もいるのだろうか?」
「いるはずだ。カモメがずっと監視していて、どこからに運ばれてもすぐにわかるようになっている」
「よく訓練されているなあ」
「ぼくも驚いた。ところで、あの研究所は、どういう性格の組織なんだい」
「詳しくは知らないが、最初は純粋に海洋について研究していたはずだ。
しかし、今までの話をまとめると、その店にいたものは、あの研究所の関係者のような気がしてくる。それなら、なぜこんなことをするのだろう?」
「シーラじいさんは、ニンゲンは、戦争をするとき、イルカを武器として使うと言ってい
た。
ニンゲンの言葉をしゃべるイルカがいるのなら、それを訓練して、クラーケンの中に紛れこませて、クラーケンは、何を考えているか、あるいは、今後どうするつもりか調べるつもりじゃないかと疑っている」
「そんなことまで知っているのか!」
「その証拠に、ときどき、イルカやシャチの死体を切りきざんで海に捨てているんだ」
「まさか」アントニスは、それについても見聞きしたことを話した。
「シーラじいさんたちは、オリオンの体に何か機械が埋めこまれたりすると、今後活動ができないことを心配しているんだ」
「急がなくてはならないんだな。戻って、研究所について調べてみよう。今日はありがとう、新しい世界の住人になったような気がするよ」
「こちらこそありがとう。きみがいたから、この世界でぼくとイリアスだけじゃないことがわかって勇気が出るよ」
「ああ、ぼくも、知ってしまった以上できるだけのことはする。じゃ、アントニス、イリアス、また後で」
アレクシオスはあっという間に姿を消した。アントニスとイリアスが自宅に帰ると、カモメが、口に手紙をくわえて待っていた。手紙を開くと、「明日、来るように」という内容だった。
アントニスは、今日話をしたのにどうしたのだろう。何かあったのかと不安がよぎった。翌日、イリアスとともに、日が昇らないうちに海岸に行き、隠しておいたボートを出した。
ペルセウスが待っていてくれた。「おはよう、ペルセウス。何かあったのか」と聞いた。
「シーラじいさんが言うと思いますが、オリオンについてお知らせしたいことがあるのです」

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