シーラじいさん見聞録

   

仙人のことを聞いた魚が次々と集まってきた。
ソコダラやソコクロダラ、トカゲギスなど、寝ずに救助をした者だけでなく、今まで見なかったエソの仲間などもいた。
仙人を見て、泣く者もいたが、ほとんど押し黙ったままだ。
シーラじいさんは、一人で帰っていった。そして、何も考えずに寝ることにした。
翌日、岩場で目を覚まし、大通りに出てみた。動きだしている魚はいたが、まだ朝早いこともあって、静かだった。
名残惜しいが、このまま出ていくことを決めていた。
体は思わしくなかったが、年を取って、疲労がたまっているのだから、こんなものだろう。上がっていくのは辛いが、まっすぐ落ちてきたはずだから、休みながらも、まっすぐ上に行けば、わしの国が見えてくるだろう。
そのとき、上のほうで何かを感じた。見上げると、真ん中あたりで、淡い小さな光がある黒い影が、ゆっくり下りてきた。
それは、「もうお目覚めでしたか?」と聞いた。
シーラじいさんが、目を細めて見ると、頭が三角形で、目がぎょろりと大きいトウジンだった。すると、腹で光っていたのは、発光バクテリアを利用した発光器なのだろう。
「お疲れは出ていませんか?」
その声は、仙人を助けるために陣頭指揮を取り、石を取りのぞいたあと、仙人の腐りかけた部分を切りとるという行動に出た、あのトウジンだった。
「いや、わしは元気です。それにしてもお気の毒でした」シーラじいさんは、頭を下げた。
「みんな、あなたに感謝しています。あなたがいてくれたので、残念な結果になりましたが、私たちは、仙人に恩返しをすることができました」
「もう少し早く助けることができたら、こんなことにならなかったかもしれんが」
「そうです。ほんとに生きていてほしかったと思います。
ここでは、みんな毎日毎日喧嘩ばかりしていたのです。『あいつが、わしのものを取った』とか『わしの縄張りに入ってくるな』とかいがみあってばかりいました。
見かねた仙人は、真上で落ちつきなく動きまわる者に、『お前たち、この世で、一番大事なものはなんじゃ?』と聞いたのです。
『そりゃあ、自分の家族でさあ』と答える者がいると、『喧嘩相手も、そう思っているにちがいないぞ』と言うのが常でした。
それを聞いた者は、『そんなこと言ったって』と、どこかへ行ったものですが、だんだん喧嘩が少なくなり、みんなのんびり暮らすようになりました」
「そりゃすごい」
「でも、みんなが納得したのは、仙人に、聞く者をひきつけるものがあったからでしょう」
トウジンは、そこで言葉を切った。
「そこでお願いがあるのですが」
「何?」
「みんなのために、ここで暮らしていただけませんか?」
「えっ」
シーラじいさんは驚いた。
そして、困惑した表情で答えた。
「ありがたい話だが、わしは、仙人の代わりができる器じゃない。それに、大事な用事を残している」と、親友のマウじいさんを探していることを話した。
「そうでしたか」トウジンは、残念そうに言った。
「それで、わしは、今日旅立とうと思っている」
「もう少しゆっくりするわけにはいかないのですか?」
「そう思ったのじゃが、体力が残っている間に、探さなければと決心した」
そのとき、トウジンの奥には、たくさんの影があるのに気がついた。しかも、小さな影もたくさんあった。
シーラじいさんの考えを早く知りたくて、多くの魚が、ここまで来たのだろう。子供もついてきたようだ。
しかし、シーラじいさんの話を聞いていたようで、みんな黙っていた。
それに気がついたシーラじいさんは、「みんな来てくれたのか。仙人はいなくなってしまったが、仙人のことを忘れず、元気に暮らしてくれ」と声をかけた。
「おじいさん、ありがとう」と子供の声がした。
すると、それが口火を切ったように、「お国のことがすんだら、またもどってきてください」、
「あなたのことは一生忘れません」という声が上がった。
「ありがとう。みんなのことは忘れないぞ。それじゃ、わしは、ここでお暇(いとま)する」
シーラじいさんは、ゆっくりと動きだした。
たくさんの影が一つになって、シーラじいさんの影が暗闇に消えてしまうまで見送った。
シーラじいさんは、上をめざして進んだ。もうみんなの影はどこにも見当たらなかった。胸鰭が一つないので、動きがぎくしゃくしているが、力を入れて懸命に浮きあがった。
ああ、なんというやさしい者たちだろう。道草を食ってしまったが、幸せな時間であった。
国を出てしまったとき、しーんと静まりかえった暗黒の世界に心細くなったが、偶然とはいえ、あんなににぎやかで、あたたかい国があったとは!
マウも、どこかの国で世話になっていたら、わしも安心なのだが。
ときおり小さな影に混じって、びっくりするほど大きな影に出あうことがある。イルカかクジラだろう。
襲ってくることはないが、またぶつかったら今度は一巻の終わりだ。それで、まわりを見ながら、上をめざした。もしマウじいさんを見つけたら、こんな幸運はない。
遠くで、ウリクラゲやホオズキクラゲの仲間が、色とりどりの光を放ちながら通りすぎる。

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