地域カーシェアリングサービス

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復活ノート

「地域カーシェアリングサービス」
今日(6月1日)の朝日新聞(大阪本社版)の朝刊には、「ガソリン青天井」という見出しで、「レギュラーガソリンが、170円台に突入した」という記事が載っています(堺市のガソリンスタンドの料金、レギュラー178円、ハイオク188円の写真もあります)。
これを見て、「レギュラーとハイオクの差が少なくなった」というお金持ちもいるかもしれませんが、ほとんどの人は、生活防衛について考えるようになるでしょう。
しかも、石油元売り会社の経営者は、「今のところ安くなる要因がない」と言明しているのですから、ガソリン価格は、しばらくこのままか、突然上がるしかないようです。
「何が何でも道路」の政治家や地方自治体の首長は、取りもどした暫定税率制度は、もう二度と手放したくないでしょうし、「高速道路を作ってほしいと願っている」と言われている県民も、「痛し痒し」でしょう。
町に住んでいる住民は、当分車を手放すことを選びやすいでしょう。乗っても週末かドライブ程度なのですから。
しかし、地方の場合は、車がないと生活ができないということもあります。私が住んでいるベッドタウンでも、大都市の私立高校に入れている家庭は、6時過ぎに、JRや私鉄の駅まで、子供を送っています。
おじいさんが、おばさんを乗せて病院へ行くこともあります(例の「もみじマーク強制」は、明確な認知症やアルツハイマーならいざ知らず、おとしよりを守るというより、嫌がらせにしか見えませんが)。
そういうわけで、ベッドタウンでは、一家に2台、3台の車があります。
ガソリンは、そう使わない、いや、そうであるから、車検代や保険代がもったいないと思っている人もいるでしょう。
そこで、「地域カーシェアリングサービス」をしませんか。
大都市のマンションでは、マンションとカーレンタル会社が提携して、「マンションの車」がありますが、それを地域のサービスとして開拓するのです。
しかし、個人、家庭や職域以外の営業は困難が伴うでしょう。利害が伴わないだけでなく、ある種の緊張関係もあるからです。
「未開の地」と言ってもいいかもしれません。とりあえず、隣人を知らない、あるいは知りたくないという都会のマンションはおいといて、今や、地方の地域では、利害は一致する事態になりました。
バブル後、都会の荒れはてた土地を利用した「パーキングサービス」を思い出してください。
そのときの土地は、不要になった車なのです。そして、「地域」という壁を乗りこえた者だけが、「信頼」というビジネスの成功条件を手に入れることができるのです。