人生観
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復活ノート
「人生観」
どのように経営するかは、その人が持っている人生観の反映です。
私が、事業をはじめたときの動機は、家族を幸福にするためのお金を稼ぐことでした。
社員に、「家が貧乏だった」とよく「貧乏自慢」したものですが、今から考えたら、普通の貧乏でした。
高校の修学旅行にもカメラを持っていけなかったし、家が麦わら屋根だったというのが恥かしくてたまりませんでした(いまや麦わら屋根は、夏は涼しく、冬はあったかいエコ住宅として見直されています。しかし、数年ごとに屋根を葺くのには、たいへんな金額がかかるので、余裕がないとできません)。
オー・ヘンリーの作だったか、「ガールフレンドと本屋に行くと、うらぶれた父がいた。恥かしくて、すぐにそこを出た」という内容の短編小説があります。
ぼくも、おなじように「スノビズム(俗物根性)」に囚われていました。
25才で事業をはじめたときも、「サラリーマンの安月給ではどうしようもない。とにかく事業を成功させて、妻子、世間に一目置かせたい」という思いがありました。
それは、最初のうちは、がむしゃらに働くための動機になったのですが、それは、いつまでも続くものではありません。
事業が成功することは、組織が大きくなることであり、そのような動機だけでは、社会の変化に対応できなくなるからです。
つまり、「性格は変えることできない」というのが真実ならば、自分の考えを変えないと、いつかは経営に行きづまることになります。
それが、多くの経営者の、そして私の敗因でしょう。
私の場合は、無理な拡張政策(これは、例の「偽装食品問題」の遠因でもあります)、人嫌い、結果として友人がいないことが、事業の頓挫につながりました。
結局、性格、生育環境などを根幹とした「人生感」や「生活感」に応じた経営しかできないのです。
私は、今、世間や自分を見て、三つのことを学びましまた。
*自分の「てこにあう」生活や経営しかできないと思うこと
*相手のいいところだけを見るようにする
*挨拶をする
それぞれについては、また言うこともあるかと思いますが、同じマンションに住んでいて、顔を合わせても、挨拶をしない人が増えているようです。こちらが会釈をして、相手が会釈をするだけでも気持がいいものです。
もし相手が無視をしても感情的にならないこと。
この三つのことを守るだけで、生活が楽しくなるような気がします。
「終わりよければ、すべてよし」みなさん、時間はたっぷりありますよ。