天寿ビジネス

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復活ノート

「天寿ビジネス」
東北の震災から4年立ったということですが、まだまだ復興とまではいかないようです。
神戸の場合と同じように土地の確保がむずかしいエリアですが、東北は、さらに津波と原発事故が重なっていますから、神戸のようには行かないようです。
水を差すようで申しわけないのですが、今回の地震・津波のニュースを聞くたびに疑問に思っていることがあります。
あの地域では、人が住むようになってからも、何回もそういう災害が起きていることは、昔の文書や、「ここまで水が来た」と書かれた石碑などが残っていることでわかりますが、それなら、漁師であっても、どうして高台などで住むようにしなかったのかということです。
考えるに、多くの制約があったのでしょうが、自分には災害は降りかからないという誰にでも浮かぶ思いがあったからかもしれません。
私も、自宅は大阪南部にありますが、上町断層帯の上に立っているようで、もし南海トラフ地震が起きれば、地震と津波で家族は犠牲になるかもしれません。
しかし、いつ起きるかもしれないと言われていても、予兆もないしとどこか他人事のように思ってしまいます。
そういう意味では、国の政策(それこそ「箱もの」と啓蒙の両方)がいかに必要かということですが、他のことでも、自分や家族の命を守ることは考えておかなければなりません。
まだ寒いからか、自宅の火事でなくなる人が毎日のように出ていますが、これは誰も守ってくれません。
それなら、火事で死ぬことはない装置は作れませんか。部屋全体には必要ありません。
台所と居間ぐらいですみます。後付けで5万円ぐらいで、火を感知したら、すぐに作動して消火してくれます(しかも、移動可能なものなら便利です)。
独居老人の命だけでなく、人生のほとんどが残っている子供の命も救われるのです。
それは、交通事故の場合にも言えます。交通事故が少なくなてきたといっても、高速道路などでの事故は多くの命が失われます。
自動車メーカーは、交通事故をなくすための研究を進めていますが、ライバルと競争して、販売台数を伸ばさなければならないという絶対的な制約があります。
第三者が、「命を守る」という目標で取りくむのです。
他にも、病気、病院、医者から命を守るというサービスも考えられます。
群馬大学の例のように、今も、患者に不都合なことを隠す病院や医者がいるのです。
私が知っている場合でも、患者を動かさないようにすれば、保険報酬が数倍にもなるようで、わざとそうする医者がいます(多分病院の意思が動いているのでしょうが)。
こういうことは、事前に察知して防がなければなりませんが、当の医者や病院は相手にしてくれません。
生まれてきたからには、天寿、あるいはそれに近い寿命を全うすることほど幸福なことはありません。それをビジネスにしませんか。