僧侶の復活

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復活ノート

「僧侶の復活」
通販のアマゾンが、「僧侶の派遣サービス」をしているそうです。それについての議論がネットに出ているとのことですが、利用する方は思い悩んでの決断だと思います。
私の場合は、10年ほど前に両親が次々となくなりましたが、田舎に集落や寺があるので、その流れに乗るだけでした。
しかし、田舎との縁が切れた場合は困るでしょうね。
葬儀は目の前です。親戚の手前、笑われることはできません。慌ててネットを検索せざるをえなかったのかもしれません。
僧侶も食べていかなければなりませんから、派遣会社への登録も増えているときます。
僧侶がいない寺のことが話題になっていますが、老齢化や過疎化のために檀家はどんどん少なくなっているのが原因です。
日本人はおもしろいですね。仏教は心にはないのに、生活にはあるのですから。
これが、「葬式仏教」なのでしょう。
ただ、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざがありますが、寺は権力=幕府の出先機関でした(ことわざは、庶民が身に染みたことから生まれたのでしょうが、それから考えると、いかに寺が庶民を苦しめた存在だったかということです)。
大昔空海、最澄が日本に根づかせた仏教は昔に終わっていたのです。
ところが、仏教は生活のイベントである葬式と深く結びついていますから、今も、「葬式仏教」としてかろうじて生き延びているわけです。
そして、それ以上でもそれ以下でもありません。だから、「売上げ」を狙った寺院は桜やアジサイなどの花を使ったのです(それも江戸時代からだそうですから、当時から仏教は日本人の心から離れていたのです)。
とにかく、「自業自得」とは日本仏教のことです(タイやベトナムでの仏教がいかに生活に入っているか調べればわかります)。
仏教は壊滅の一歩手前です。それが、「僧侶派遣サービス」の背景です。
しかし、人生において、宗教は大きな役割を持っています(多くの人が宗教の名を借りたものに取り込まれるのがその証拠です)。
汚名返上したいのなら、僧侶は仏教だけでなく宗教、人間を勉強しなさい。
そして、寺を開放して、自由に出入りしてもらうのです(花などを自慢などせずに)。
人は昼寝でもしにくるでしょう。何回も来れば、少し話を聞いてほしい人も出てきます。そうやって、宗教の役目を取り戻すのです。廃寺を使うことも考えられます。
僧侶に勇気があるか。そして、人々に勇気を与えられるか。最後のチャンスです。