老人資源

   { }

復活ノート

「老人資源」
私は、いつこの世からバイバイしてもおかしくない「フェードアウト適齢期」ですから、そのときがいつ来ても大丈夫なように準備しておこうとは思います。
しかし、毎日していることは、童話を作ること、それ以上に、パソコンをいじることです。
人生は思うようにいかなかったという悔いがありますが、パソコンも思うようにいかないことが多く、それこそデスクトップ上の戦いです。
思うようにいかないと、ネットを調べるだけであっという間に時間が立ちます(目も疲れて吐き気がするときもあります)。
それにはコツがあって、気が急(せ)いても冷静にネットをブラウザして、自分の実力できる方法を探すのです(私の場合は、レジストリを触るようなことはしません)。
それで解決したらいいのですが、結局わからないときは諦めます。
最近ではoutlookとかoutlook.comというメーラーがわからず、頭の中から削除しました(もちろん、簡単な使い方はわかるのですが、「ここの順番を変える」というような些細なことです)。
それで、メールは、同じマイクロソフト系のlivemailと、大好きなfirefoxのthunderbirdで遊んでいます。
ただ、thunderbirdのメールリストの並べ方が降順にならなければ(今、ネットで調べていますが)、これも頭とパソコンから削除です。
とにかく、「超初心者」というレベルです。その代わり、わからないIT用語が出てきたら徹底的に覚えます。これで、何かやり遂げた気持ちになります。
他の趣味やスポーツに懸命に取り組み同輩は多いような気がします。
これは、自分が懸命に生きているということを自らに証明したいからでしょうか(スポーツジムでも老人で溢れかえっているとか)。
団塊世代以上の老人が大きな市場になっているのは同慶の至りです。
高度経済成長を支えてきましたが、今は社会の「お荷物」ですので、せめてものお詫びです。
それはいいのですが、自分にとって大事なのは人生のまとめ方です。
若いとき、「誰でも60年生きたら、博士になれるぐらいの知恵がつくものだ」と聞いたことがあります。
学問のことは無理だとしても、失敗も含めて、「人生とは何たるか」については博士号に値する知識はあるはずです。
「老人は市場ではなく、資源である」という発想でビジネスを作る、あるいは、今のビジネスに生かすことが成功への道であると思います。
「60才以上の人募集」今でも時々見かける言葉ですが、これに社会を変える意味を与えましょう。