修理サービス
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復活ノート
「修理サービス」
文明評論家的に言えば、人間なんて、昔から変わっていないのでしょうが、文化や文明といわれるものが変わるから、人間は、どんどん進化していると思うのでしょう。
その際たるものが道具や機械です。人間は、250万年前のホモ・ハビリス以来、せっせと道具を作ってきました。
そして、道具や機械を使いこなさなければ、現代人といえません。それができなければ、老人と見なされ、本人も、「もう自分の時代は終わった」と悟るのです。
40年ほど前、都会に出て当時、とある駅で、あるおばあさんに、公衆電話の使い方を教えてくれんかと尋ねられたことがあります。
私は、得意になって、まず受話器を上げて、10円玉を入れてとていねいに教えました(当時、交差点の四方にある信号の見方がよくわからない田舎者でしたが)。
「これだから、としよりはいやだ」と思ったものでしたが、その後、ご存知のように、コンピューターの発明で、道具や機械は、人類史上最大の進歩を見せました。
しかし、今、私は、ディジタル公衆電話をかけることができません。誰も使っていないとき、説明書を読んだりしてもよくわからないのです。必要なときは、2,3人待っていても、普通の公衆電話を待つとしよりになったのです。
しかし、私は、ブラウン管テレビほどある初期のパープロや、レンガぐらいのバッテリーが必要なショルダーホンに飛びつく「新しもの好き」でした。
複雑な録画の機械が出てきた頃から、「機械離れ」が起きてきたようです。根気がなくなり、老眼が進行して、「取説」を読むのがいやになり、今日に至る、です。
今では、駅にある切符の自動販売機もおぞましく思うようになりました。
現在の若者も、いずれそうなることでしょう。背中に背負って飛ぶ「空中移動機」の操作がうまくできない老人が出てくるかも知れません。
ところで、道具や機械は故障します。それを直すビジネスはいかかですか。
今は、電化製品は修理するほうが高くつく時代です(車も、エンジンなどの心臓部は、アッセンブリーという装置を取りかえるだけです)。
ましてや素人が、道具や機械を修理することはできません。そこで、「故障したものを直す過程」を楽しむことを、ビジネスの中心にします。
どのように作られているのか、なぜ故障したのか、どう修理するのか。そこを教えていくのです。
道具や機械の仕掛けを理解することは、現代人としての自信がつくことでしょう。これは、老人にとっては、すばらしいことだと思います。
ここから、おもしろいビジネスが始まります。個人の能力を検定したり、開業させることもできます。「得手不得手」の紹介もするべきでしょう。