戦争を知らない子供たち
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復活ノート
「戦争を知らない子供たち」
私たち団塊世代は、北山修作詞、杉田二郎作曲の「戦争を知らない子供たち」を聞きながら学生時代を過ごし、社会に入った世代です。
天邪鬼の私は、この歌を歌うこともあっても、「もう戦争は起きないのだから、わざわざそんなことを言わなくっても」と考えていたところもありました。
それから、50年近く立ち、子供や孫が生まれるようになりましたが、その歌を言わずもがなの歌だと言えなくなってきたような気配がしてきました。
私より若い総理大臣が、「日本を取りもどそう」と言っていますが、「いつの日本か」と言いたくなりますし、また、それを言うマスコミもありません。
その「日本」というのも、領土のことだけかもしれません。それなら、中国に対しては守り、韓国やロシアに対しては取りもどすことを意味しているわけです。
しかし、我国だけでは心もとないので、アメリカに追随して、味方になってもらおうとするようです。だから、日米安保条約を世界的視野で履行するというのですから、いつまでも「戦争」を知らずにすませらるのかと心配になります。
確かに中国やロシアの行動は困ったものです(人民の国と言っていたのに、どうして帝国主義のような振る舞いをするのか。コルホーズ、ソルホーズをおぼえた「戦争を知らない子供たち」には理解できません)。
領土問題で強硬だった中国は、少し折り合いを示すようになりました。もちろん、経済の問題やAIIBのことがあるからでしょうが、日本も、アメリカのポチと言われないように、アジアでどう生きるかをもっと主張するべきだと思います(それなら、中国や韓国も聞く耳を持つはずです)。
とにかく、何でもできる状況を利用して、思慮のないことをすれば、どうなるのか考えてもらいたいものです(一番腹立たしいのは、本人が靖国神社への参拝を自重しているのに、ペーペーが参拝することです。自分の保身を考えているとしか思えません。しかも、子供を作る女の議員がと口をすべらせたくなります)。
戦争は政治家や軍人の責任ではありますが、国民の無責任でもあります。政治家に取り込まれないようにするためには努力が必要です。
今テレビを見ない若者が増えたと言われています。確かに、タレントがプライバシーを切り売りする番組だらけです(そんなものを見るぐらいなら、スマホをさわっているほうが楽しいでしょう)。
新しい番組を考えているスタッフもいるでしょうが、スポンサー商売ですから、冒険はできないのです。
それなら、テレビなど当てにしないで、心から笑える芝居を作りませんか。しかも、3Dとでもいうべきもので、観客も芝居に入るようになっています。芝居を見て笑い、自分も笑われるのです。
そうして、自分だけでなく、社会を、世界を客観的に見ることができます。しかも、1人ではないのです。
政治家は、国民を狭い視野に入れたがります。だから、不幸なことが起きるのです。
「戦争を知らない子供たち」という歌のすばらしさに気づかなかった不明を恥じるとともに、孫にも歌わせたいと思う今日このごろです。