昔取った杵柄(杵柄)ビジネス

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復活ノート

「昔取った杵柄(きねづか)ビジネス」
「そばや」などにある箸袋には、「何かお気づくのことを教えてください。店主心配性のため」と書いてあるのを見たことありませんか。
最初は、「なかなかのキャッチだな」と思っていましたが、別の店でも見ましたから、最初の店の店主が考えたのではなく、既製のものがあるようです。
出かけるときに、途中でガスの元栓や鍵を閉めたか心配で、また帰ることがありますが、あれも、一時的な心配性なのかもしれません。
それが、もう少し重度になれば(「心配症」と書いたほうがいいのでしょうか)、心が不安な状態になって(何でも完全にやりたいと思う人にその傾向が強いそうです)、過去のことや将来のことに、あれこれ不安を持つようになるそうです。
何回も書きましたが、私も、昔あんなことを言ったりしたりしたが、相手は怒っているだろうなと後悔をすることがよくあります。
そして、不思議なことに、自分の将来に対しては、そう悲観的でなく、こうなればいいなあと思うことが多いのですが、社会の将来には不安があります。
テレビや新聞で、事件のニュースを見ると、被害者は同情しますが、加害者にも、どうしてそんなことをするんだ、日本人はだんだん少なくなっているんだぞと、人が聞いたら、間抜けな心配をしてしまいます。
これはビョーキなのでしょうが、先日、都道府県別の人口動態が発表されましたが、さらに人口は減少し、高齢化が進むようですから、私のビョーキはさらに重くなりそうです(以前、このままいけば、2,300年後には、日本人は3人になるとかいう冗談をどこかで読んだことがありますが、どうも、それがビョーキの端緒だったようです)。
人口と経済の関係などについて専門的な考えは持っていませんが、若い夫婦が、もっと子供がほしいのに、家計のことなどで生めないというのは不幸だと人一倍思います。
というのは、1974年(昭和49年)に、日本で初めてベビーシッターサービスを企業化したからです。
当時は、高度成長のため人手不足で、主婦にまた社会に戻ってきてほしいという声が高まっていました。
そのため、私のようなものでも、税務署が驚くような成長をしました。
それから、40年、地ぢはすっかり様変わりしてしまいました。
家計のために働こうとしても、乳児を預かってくれる場所がないというのです。
今ベビーシッターサービスをしても利用は少ないでしょう(毎月、2,30万円の利用金額でした)。
わかりました。それなら、私に考えがあります。
ある程度の費用は負担していただきますが、残りは、他のお母さんやボランティアに助けてもらいます。
企業には、有益な商品アドバイスをして、契約金を出さします。
国などに頼らなくとも、自助努力をすれば、そうむずかしくないビジネスです(軌道に乗れば、国のほうから近づいてきます)。手を上げる人がいれば、私が実務をお教えします。