
公園ビジネス
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復活ノート
「公園ビジネス」
DVの増加、親子や夫婦間のむごたらしいいさかい、育児や介護の放棄など、家庭に関することが、毎日のように報道されています。家庭が憎しみの場になっているようです。 「昔はよかった。みんな居間に集まって食事をしたものだ」という声をよく聞きますが、昔は家が狭かったし、そこにしかテレビがなかっただけかもしれません。 昔のほうが家族の結びつきが強かったかどうかは知りませんが、まちがいなく顔を合わせる時間は多かったはずです。
現代は、生活は豊かになり、家族が活動する時間がちがってきていますので、家庭の環境は悪くなってきています。
「個室」から、家族がばらばらに食事をする「個食」、家族同士はほとんど話をせず、他人とも顔を合わせるどころか、肉声で話すこともせずにメールを送ったり受けたりするだけの「個話」の時代になったのですから。 家庭や社会で何かあっても、公園で、一人いると、気が落ちつき、また新しい気持ちになったものです。
ビリーバンバンの「白いブランコ」を聴くと、胸を締めつけるように気持ちになります。また、黒澤明の「生きる」という映画も、主人公が、雪の降る夜の公園で、一人悩む場面があります。 どんな時代になっても、人は家庭や社会がないと生きていけません。家庭や社会のことはふれませんが、家庭や社会を補完するものとして、公園ビジネスを考えてみませんか。 財政悪化で予算を削られ、草ぼうぼうの公園を、家に閉じこもっている若者やおとしよりも行きたくなり、親も、子供に遊んでおいでと言いたくなる公園にするのです。 つまり、公園を泣く場所ではなく、笑う場所にするのです。そのために、なつかしさ、あたたかさをどのように出すかが勝負です。
一つうまくいけば、行政は、どんどん任せるようになります。そういうサービスは、行政は一番苦手な上に、経費も安くすむからです。 「生きる」の主人公は、胃がんになった役人でしたが、公園で一人悩んだ末、最後の仕事として住民の願いである公園作りに取りくみました。 日本でも「刑務所ビジネス」がはじまりましたが、「公園ビジネス」には、大きな将来性があります。